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2017.12.21 (Thu)


稲田朋美前防衛相を批判する古谷経衡の愚


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ネトウヨの命名者古谷経衡が稲田氏の歴史認識をこき下ろした

稲田朋美前防衛相が「独占手記 私の反省文」「防衛大臣として私に足りなかったもの」を産経新聞のiRONNAに寄稿した。

産経ニュース(2017/12/20)
「防衛大臣として私に足りなかったもの」稲田朋美氏独占手記、iRONNAに掲載

今年7月、陸上自衛隊の日報問題をめぐり、防衛大臣を辞任した自民党衆院議員、稲田朋美氏がオピニオンサイト「iRONNA」に独占手記を寄せた。「この一年は政治家として歩んできた12年の中で最も困難かつ試練の時だった」。大臣辞任後、再起を誓う彼女が綴った初めての「反省文」。先の衆院選では5選を果たしたものの、かつて「初の女性宰相」ともてはやされた面影はない。辞任騒動が安倍政権に与えたダメージはいかほどだったのか、そして稲田氏が今後、再入閣する可能性はどれほどあるのか。挫折を経た今だからこそ語れる、稲田氏の真意やいかに。
 また、文筆家の古谷経衡氏や政治学者、岩渕美克氏の論考も、iRONNAの最新テーマ《稲田朋美独占手記「私の反省文」》で併せてお読みください。


全文を読んでみたが冷静に防衛大臣時代の執務内容と外部環境について書かれている。
どこにも「防衛大臣として足りなかった」とは書いてない。
多分、編集子がつけたタイトルであろう。

強いて言えば、最初の2行・・・

「私のカラーを出し、取り組むべき課題に全力投球する以前に、国会やマスコミ対応に追われたようにも思う。もちろん、その責任は私の経験不足と至らなさにある。」

の部分である。
政治家が「マスコミ対応」に追われるのはマスコミ側にも問題があるのだ。

稲田朋美氏の歴史観や視点は防衛大臣就任前後を通じて変わってはいない。

⇒iRONNA(2017/12/)
【稲田朋美独占手記】防衛大臣として私に足りなかったもの


昨年8月3日、防衛大臣に就任した。正直、防衛大臣に任命されたことは私にとって青天の霹靂(へきれき)であり、その後の1年は政治家として歩んできた12年の中で最も困難かつ試練の時であった。私のカラーを出し、取り組むべき課題に全力投球する以前に、国会やマスコミ対応に追われたようにも思う。もちろん、その責任は私の経験不足と至らなさにある。

 一方、北朝鮮による核・弾道ミサイル開発、中国による活動の急速な拡大、活発化の中で、わが国の防衛・安全保障の重責を担えたことは非常にやりがいがあった。どの問題も1つとして容易な解決策などない、そのような中、わが国の安全保障・防衛政策を前に進めるために葛藤する、そんな日々であった。

今年7月、南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊が作成した日報を陸上自衛隊が破棄したと言いながら、実際には存在した問題をめぐる省内混乱を受け、防衛省事務次官、陸上自衛隊トップの陸上幕僚長の交代があり、私としても防衛省の責任者としてけじめをつける判断に至った。
 
 ただし、私は「現地の部隊が日々作成している日報を捨ててしまっているはずがない」と考え、日報を探して早期に公表するように指示し、その結果、2月上旬には公表された。省として情報公開および文書管理に不適切な対応があったこと、公表に時間がかかったことや公表後の対応が十分でなかったことは反省しなければならないが、私が日報の隠蔽(いんぺい)を指示したとか、隠蔽に加担したということは断じてない

 南スーダンPKOでは、「戦闘」があったかどうかが国会で大きな議論になった。一般的用語の「戦闘」と法的な意味での「戦闘行為」の違いを、国会で誤解を受けることなく説明することは難しかった。もとより、平和で治安の良い日本と部族間の争いが頻発し治安も極めて悪い南スーダンとを比較することはできないが、少なくとも首都ジュバは安定していた。昨年7月に大きな武力衝突はあったが、PKO5原則に抵触し、部隊の撤退をしなければならない状況ではなかった。

そのことを国会で何度も答弁し、紛糾もしたが、だからといって「戦闘」隠しのために日報を「非公表」とするようなことはあってはならない。むしろ、一般的意味において「戦闘」があったと隊員が感じれば、それを日報に書くべきであるというのが私の方針であり、そのことは今も正しいと思っている。

 そもそも南スーダンにPKOを派遣したのは民主党政権である。当時は国境付近の油田地域をめぐってスーダンとの紛争が悪化の一途をたどり、空爆まで行われていた時期だった。それでも民主党政権は「戦闘行為はない」としてPKOは続行された

 その時とは比べものにならないくらい安定した昨年の10月、私は首都ジュバを視察したが、現地の自衛隊施設部隊は士気高く現地に寄り添った「日本らしい」活動をしていた。南スーダン政府や国連関係者からも自衛隊のPKO活動は高く評価されていて、防衛大臣として誇らしく感じた。そうした自衛隊の国際貢献が国内における政治的な混乱に巻き込まれたことは極めて残念であり、その責任を痛感している。

 一方、私の防衛大臣在任中は北朝鮮の核・ミサイル実験が急増する中、米国において政権交代があった。今年7月の北九州豪雨被害など国内の自然災害も少なくなかった。そうした厳しい状況の下、防衛省・自衛隊がしっかりと任務を果たしてきたことで、日本の国防が私の在任中に揺らぐことはなかった。


マチス 稲田(1)
2017年2月、共同記者会見に臨む稲田朋美防衛相(右)と
マティス米国防長官=防衛省(納冨康撮影)

 また、米国のカーター前国防長官、マティス現国防長官ともそれぞれ2回会談し、日米同盟の深化のためにしっかりと良好な関係を築けた。マティス長官は当初言われていた「こわもて」のイメージとは異なり、極めて思慮深い中にユーモアがあり、言葉の1つ1つに深い洞察を感じさせる人だった。2人で話す際には「何か懸念があれば何でも話してくれ」と述べてくれるなど、いつも率直な意見交換ができた。

 防衛大臣を辞した後、10月に行われた総選挙は、私にとって今までにない厳しい闘いだったが、5回目の当選を果たすことができた。私以上に私のことで周りから批判されながらも苦しい選挙を共に闘い、押し上げてくださった地元後援会の方々はじめご支援いただいたすべての皆様に感謝申しあげたい。

 政治家になって12年。「初心に戻って感謝の気持ちを忘れずに」を訴えて当選したが、選挙戦を通じて私自身も立ち直り、何のために政治家になったのか、原点を取り戻すことができたと思っている。厳しさを増す安全保障環境の中において、いかにして日本を守るのか、防衛政策のみならず、世界における日本の役割を果たすことが求められている。

 来年は明治維新150年の節目の年。近代化の大転換期にわれわれの先人が世界に発信したことは、単に列強に負けない強い国造りだけではなく、「四海に道義を敷く」、まさしく道義大国の実現であった。

 日本に求められていることは、力ではなく「法の支配に基づく国際秩序」を世界に確立することだ。これに挑戦し、力によって現状を変更しようとする動きを封じるため、世界の価値観を共有する国々と団結することである。「法の支配に基づく国際秩序」の重要性こそ、防衛大臣時代、私が国際会議や外国での講演で繰り返し強調してきたメッセージに他ならない。私たちは、経済的利益という目先の偏狭な利益のために、「法の支配に基づく国際秩序」という長期的な共通の利益を犠牲にしてはならないのである。

 国内においては、戦後初めて、自民党の党是である憲法改正が、歴史的チャレンジとして現実のものとなりつつある。その時に自民党の衆議院議員として在職している責任と役割を果たしたいと思う。

 内外ともに激動の時代を迎えた日本において、政治家としての原点を取り戻し、今年1年の困難を糧にして、闘う政治家としてさまざまな課題に取り組んでいきたい。


(引用終わり)

稲田氏は野党やマスメディアが伝えたように「日報隠し」はしいなかった。むしろ探し出せと指示していたことは事実だ。
「そもそも南スーダンにPKOを派遣したのは民主党政権で」、その時よりも首都ジュバは安定していたという。
あの頃、国会では「戦争の弾が飛び交っているのに稲田防衛相は限られた安全な地帯しか視察しなかった」という野党の批判が盛んだった。
誰も見ていないのによく言うのものだと思ったものだ。

古谷経衡ごときチンピラ評論家が、「歴史認識はダメで稲田朋美氏が『再浮上する芽』はいくらでもある」と一見ヨイショしているように見えるが、稲田朋美という人間像を正確に分析していないのはパヨクの習わしである。

防衛大臣としては失格で、弁護士の経験があるからそれを生かせと的外れな提言をしている。

⇒iRONNA(同上)
歴史認識はダメでも稲田朋美「再浮上の芽」はいくらでもある
古谷経衡


「南京裁判」で原告側弁護人を引き受け、ゼロ年代に一躍保守論壇の寵児(ちょうじ)として論壇誌『正論』にデビュー。当時、小泉政権下で安倍晋三(幹事長)に見染められ、「初の女性総理」を嘱望された稲田の権勢は、こういった選挙の得票数とは反比例して現在、ほとんど地に落ちているといってよい。
 転換点は第二次安部政権下での「クールジャパン推進会議」議長への抜擢。「ゴスロリの起源は十二単」との珍説を開陳して失笑を買った。次に民進党(当時)の辻元清美との国会論戦。辻元の追及に言葉を詰まらせて涙ぐむ様子が全国に中継されると、それまで稲田を支持していた保守層は一斉に稲田から離反した
 保守層にとって辻元は「格下」の仇敵。その辻元にコテンパンにやられたという醜態は、稲田熱ともいえる稲田人気が潮が引いていくように後退していった最大の要因である。


稲田氏が涙目になったことを持って保守派が引いたというのか。
確かに悔しい思いはしたが、そんなことで真の保守派は稲田朋美氏を見放したりはしない。
稲田氏の時として奇抜な衣装は、福井県の名産の披露は別として確かに批判されるきらいはあるが稲田支持派にとってはたいしたことではない。

稲田氏は弁護士ではあるが歴史の専門家ではないから「南京事件」などに口を出すなという古谷経衡。

弁護士である稲田の本来の実力は、こういった部分で発揮できるのであり、軽佻浮薄(けいちょうふはく)な発言を連発することで保守派の受けを狙う歴史問題ではない
失礼を承知で言うが、稲田の著書を何冊か読んだ私でも、稲田の近代史理解は一般的な学部生かそれ以下で、専門家とは程遠いレベルにある。近代史に関する基礎的素養が足りなすぎるので、先の大戦に関する認識は左派からも、そして保守からも、あるいは史学の入門者からも一笑に附されて終わるレベルだ
稲田は素人感覚で参入している歴史問題から手を引き、専門の法曹分野に特化して、弱者救済や我が国の司法問題の改良へ努力すれば、近い将来稲田への評価は徐々に上がっていき、再入閣の芽は出てくる。その場合、防衛大臣は二度とないものの、司法と国民が密に接するポジションで、彼女の本来の良さが発揮されることであろう。


歴史問題から手を引けというが、稲田氏の歴史認識はそれほど甘いというのか。
弱者救済やヘイトの防止に尽力する稲田朋美など見たくも無い。

古谷経衡がそれほど歴史問題に自信があるのなら、「南京大虐殺事件」でも「百人斬り事件」でもいちど稲田朋美氏と公開討論すればよい。
さもなければ負け犬の遠吠えでしかない。




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テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

22:27  |  歴史認識  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

*Comment

★稲田つぶし (安倍の後任つぶし)は続く。

>古谷経衡がそれほど歴史問題に自信があるのなら、

 はい、こいつは「歴史の解説」本でも書いてみることです。維新あたりからでもいいよ。
笑われること必定。

古谷は他人の歴史認識をうんぬん言えるのか。
サヨク史観の戦後の歴史なら、自分の体験談を軸に面白おかしく書けるかもね。
弓取り |  2017.12.21(Thu) 23:39 |  URL |  【コメント編集】

文中にも有りますが、古谷経衡の言説は“いちいち”的外れ、な事ばかりです。
パヨク誌が都合の良い著述家として持ち上げているようですが、皆で「的外れ古谷」を定型句化し拡散しましょう。
事実なので、レッテル貼りではありません。パヨクメディアはもっと、ましな言論人を使え、というリクエストでもあります。
KIOSK |  2017.12.22(Fri) 07:09 |  URL |  【コメント編集】

★藍より出でて藍より青い人材出てこい

稲田氏に続く人材が出てくることを願いつつ、稲田氏を応援しましょう。
稲田氏を否定していると、もっと悪い人罪が出てくるのです。
窮余迷彩 |  2017.12.22(Fri) 18:22 |  URL |  【コメント編集】

古谷はチャンネル桜を足掛かりにして名を売った恩知らずでインチキなやつですよ。
名前非公開 |  2017.12.25(Mon) 11:58 |  URL |  【コメント編集】

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