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2014.05.03 (Sat)


憲法記念日の各紙社説検証

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近隣敵国を利する朝日・毎日・東京(中日)の論調

 結論を先に言うと、朝日・毎日・東京(中日)の3氏は憲法改正反対、集団的自衛権反対であり、産経・読売は憲法改正と集団的自衛権に賛成である。

この対決姿勢は近年富に明らかになって来た。
朝日・毎日・東京(中日)の3紙はPonkoに言わせれば「売国新聞」でありNHKも含めて反日メディアスクラムである。
これに対決する産経と読売(おおむね)は健全なナショナリズムに裏打されたクオリティ・ペーパーである。

そのどちらが正しかったかは後世の歴史家が証明してくれるだろうが、国民は来年中にはその結果が分かるだろう。

 朝日新聞は安倍首相憎しとばかりに、嘘をつく。
昨年、安倍首相は憲法改正に手を付けようとしたが、国民の反対で諦めた。しかし今度は集団的自衛権で憲法を変えようとしていると。

 集団的自衛権は他国(アメリカ)の戦争に参加する事だと早とちり(のフリをする)。
どうしても戦争したいなら憲法を改正してからにせよ。どうせ出来ない癖に・・・という論調だが、相変わらず激変する東アジアの情勢には目もくれない(「分かる」と言っているだけ)

「日本守るために警戒中のアメリカ艦隊が攻撃されたら個別的自衛権や警察権(!)で対応できるという意見が政府内外に根強い」

という嘘もつく。

現行憲法で手足を縛られている自衛隊ですら対応できないのに、国内の治安を目的とする警察が敵を攻撃できる筈はないではないか。

「政府内外に」などというまことしやかな嘘をつく。
論説の根拠となる情報源を具体的に挙げたらどうだ。

 「いまの政権のやり方は、首相が唱える『憲法を国民の手に取り戻す』どころか、『憲法を国民から取り上げる』ことにほかならない」


というが、その通り。
安倍政権の目的は日本をダメにする現行憲法を国民の手から取り上げて、新しい憲法を国民の手に取り戻すことである。

毎日新聞も日本の平和は現行憲法と日米安保の日本の柱で支えられてきたと嘘をつく。
日本の平和を支えてきたのは日米安保でしかない。
反日近隣諸国は、憲法前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という日本をせせら笑ってに日本攻撃の機を狙っている。

「9条の理念を、安保のリアリズムが補う。一見矛盾する二つの微妙な均衡の上に、日本の国際信用と安全がある。軽々しく崩してはならぬ、『国のかたち』である」

には噴き出してたしまった。
「矛盾する」とみずから認めてしまっているではないか。

集団的自衛権は解釈改憲ではなくて憲法を変えてからにしろというのは、中国・北朝鮮を利する時間稼ぎでしかない。

毎日新聞はプチ朝日と揶揄されているが、東京(中日)新聞はさらに金魚の糞であり、邪魔なだけである。
「怪人二十面相」やカントを引き合いに出して、ユーモラスな筆致にみずからご満悦のようだが、江戸川乱歩もイマニュエル・カントもあの世で苦笑していることだろう。

安倍首相は変装が得意な怪人二十面相だと言いながら、最後は・・・

「憲法解釈をおろそかにし、戦争に道を開けば、天下の大泥棒から悪者扱いされます」

と結語してその矛盾に気付かないところなどはまさにお子様並み。

適菜収氏のいう情報弱者のC層には受けるかもしれないが、説得力ゼロである。

「専守防衛で国民守る」とあるが、「先制攻撃で国民を守る」の見間違いかと思った。
日本に弾頭を向けた中国や北朝鮮、そして近い未来の韓国のミサイルが何千発も日本を見舞ったら、日本の数台のパトリオットでは防御できない。先制攻撃で国民を守るしかないのである。
そして、一番良いは近隣敵国が日本にミサイル攻撃させないような国家体制を作ることである。

 3紙に共通しているのは憲法9条死守であり、その論説に従えば、日本国は憲法9条を後生大事に抱きしめながら滅亡して行くことになるのである。(つづく)

朝日新聞(2014/5/3)
安倍政権と憲法―平和主義の要を壊すな

 国会の多数決だけで、憲法を改めることはできない。

 憲法を改正するには、衆参両院の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票で過半数の承認を得なければならない。憲法96条が定める手続きだ。

 安倍首相は昨春、この手続きを緩めようとして断念した。

 時の政権の意向だけで憲法が変えられては、権力にしばりをかける立憲主義が侵される。こう気づいた多くの国民が、反対の声を上げたからだ。

 安倍首相は、今年は違うやり方で、再び憲法に手をつけようとしている。

 条文はいじらない。かわりに9条の解釈を変更する閣議決定によって、「行使できない」としてきた集団的自衛権を使えるようにするという。これだと国会の議決さえ必要ない。

 その結果どうなるか。日本国憲法の平和主義は形としては残っても、その魂が奪われることになるのは明らかだ。

■本質は他国の防衛

 政権内ではこんな議論がされている。集団的自衛権の行使は日本周辺で「わが国の存立を全うする」ための必要最小限に限る。それは59年の砂川事件の最高裁判決も認めている――。いわゆる「限定容認論」だ。

 しばしば例示されるのは、日本近海での米艦防護だ。首相らは日本を守るため警戒中の米艦が襲われた時、自衛隊が救えなくていいのかと問う。それでは日米同盟は終わる、とも。

 しかし、これは日本の個別的自衛権や警察権で対応できるとの見解が政府内外に根強い。

 ことさら集団的自衛権という憲法の問題にしなくても、解決できるということだ。日本の個別的自衛権を認めたに過ぎない砂川判決を、ねじ曲げて援用する必要もない。

 仮に集団的自衛権の行使を認めれば、どんなに必要最小限だといっても、これまでの政策から百八十度の転換となる。

 集団的自衛権の本質は、他国の防衛という点にある。アリの一穴は必ず広がる。「日本が攻撃された時だけ武力を行使する」という以上に明確な歯止めを設けることは困難だ。

 自民党の憲法改正草案は、自衛隊を集団的自衛権も行使できる「国防軍」にするという。安倍政権がやろうとしていることは、憲法を変えずにこれを実現しようというに等しい。

 政府が方針を決め、与党協議だけで実質的な改憲をしてしまおうという乱暴さ。なぜ、こんなことがまかり通ろうとしているのか。

■行政府への抑止なく

 真っ先に目につくのは国会の無力だ。論争によって問題点を明らかにし、世論を喚起する。この役割が果たせていない。

 対立する政党の質問にまともに答えようとしない首相。それを許してしまう野党の弱さは、目を覆うばかりだ。

 自民党内にあった慎重論も、内閣改造や党人事がちらついたのか、またたく間にしぼんだ。

 立法府から行政府への監視や抑止がまるで利かない現状。そのうえ、憲法の歯止めがなくなればどうなるか。米国の軍事政策に追従し続けてきた日本だ。米国の要請に押され自衛隊の活動が「必要最小限」を超えるのは想像に難くない。

 03年のイラク戦争で、小泉首相はブッシュ大統領の開戦の決断を支持し、自衛隊を復興支援に派遣した。小泉氏の理屈は「米国支持が国益にかなう」の一点張り。情勢を客観的に判断する姿勢は見えなかった。

 安倍首相は国家安全保障会議を発足させた。だが、議事録は公開されず、特定秘密保護法によって自衛隊を動かす政策決定過程は闇に閉ざされそうだ。

 こんな体制のもと、第二のイラク戦争への参加を求められたら、政府は正しい判断を下せるのか。国会や国民がそれを止めることができるのか。

■憲法を取り上げるな

 「自衛隊員に出動命令を出すからには、一人でも多くの国民の理解を得たい」。政権の中からはこんな声が聞こえる。

 集団的自衛権の行使をどうしても認めたいというのならば、とるべき道はひとつしかない。そのための憲法改正案を示し、衆参両院の3分の2の賛成と国民投票での過半数の承認を得ることだ。

 北朝鮮の核開発や中国の軍備増強などで、東アジアの安全保障環境は厳しくなっている。いまの議論が、日本の安全を確実にしたいという思いからきていることはわかる。

 ならば一足飛びに憲法にふれるのでなく、個々の案件に必要な法整備は何かという点から議論を重ねるべきではないか。

 仮に政策的、軍事的合理性があったとしても、解釈変更で憲法をねじ曲げていいという理由にはならない。

 いまの政権のやり方は、首相が唱える「憲法を国民の手に取り戻す」どころか、「憲法を国民から取り上げる」ことにほかならない。


毎日新聞(同上)
社説:集団的自衛権 改憲せず行使はできぬ

 日本の平和と安全は、二つの柱で支えられてきた。平和国家の原則を示す日本国憲法と、軍事抑止の装置である日米安保条約だ。

 憲法9条によって、日本は戦争を忌避し、軍事に抑制的に向き合う平和主義の国、というイメージを国際社会に浸透させてきた。

 一方、日米安保条約は、巨大な基地と補給拠点を米国に提供することと引き換えに、外国からの侵略を防ぐ役割を果たしてきた。

 9条の理念を、安保のリアリズムが補う。一見矛盾する二つの微妙な均衡の上に、日本の国際信用と安全がある。軽々しく崩してはならぬ、「国のかたち」である。

 ◇限定容認の先は何か

 安倍政権は、その憲法9条が禁じている集団的自衛権の行使を、政府の解釈を変えることで可能にする、という。条件をつけた「限定容認」であれば、憲法9条の枠は超えないだろう、という理屈だ。

 集団的自衛権とは本来、他国の要請で他国を守るため、自衛隊が出ていくことである。限定容認の先に何があるのか、私たちは深く、慎重に考えてみるべきだろう。

 自民党は憲法改正草案をまとめている。集団的自衛権の行使で、湾岸戦争の時のような多国籍軍への参加や、他国領土での戦闘参加が可能になるという内容だ。限定容認に踏み出せば、次はよその国と同じ軍隊になることが見えてくる。

 行使する対象国には、米国のほかオーストラリアやフィリピンなどが挙がっている。これは、北大西洋条約機構(NATO)の事実上の西太平洋版にあたる、新たな集団安全機構の構築を意味しよう。

 中国を包囲する形での、NATO的システムとなれば、日本とアジアの将来に大きな影響を与える。集団的自衛権の限定行使が、こうした軍事ビジョンを実現するための一歩であるなら、それが果たして地域の秩序を安定させる道筋なのかどうか、徹底的な議論が必要だ。

 集団的自衛権は、抑止力を強化するとする考え方がある。

 しかし、歴史を振り返れば、それを名分にした参戦と戦火の拡大が多いことに目を向けたい。

 100年前の第一次世界大戦で、日本は日英同盟を根拠に中国のドイツ領を攻め、21カ条要求で中国侵略の端緒を作った。米国が介入し泥沼化したベトナム戦争で、米国の派兵要請に応じた韓国の戦死者は、5000人近くにものぼる。

 米同時多発テロ後、NATOが集団的自衛権を行使し、米国とともに戦ったアフガニスタン戦争では、英国の450人をはじめ、加盟各国が多くの犠牲者を出した。

 9条が禁止してきた、さまざまな形での自衛隊の投入が、集団的自衛権を行使すればできるようになる。それは、日本を支える二つの柱から憲法を外し、安全を日米安保のみに依存することに等しい。

東京(中日)新聞(同上)
憲法を考える 9条と怪人二十面相

 国が曲がり角にあります。カーブの先は…。他国のために戦争をする国でしょう。憲法九条が破壊されるのに、国民が無関心であってはなりません。

 <そのころ、東京中の町という町、家という家では、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人「二十面相」のうわさをしていました>

 不気味な書き出しです。江戸川乱歩の探偵小説が出版された一九三六年には、陸軍の青年将校らが反乱を起こした二・二六事件がありました。翌年には泥沼の日中戦争が始まる時代でした。

◆「解釈改憲」は変装だ

 新聞紙面をにぎわす怪人二十面相はとびきり変装が得意です。安倍晋三政権が宣言している「解釈改憲」もメディアを連日にぎわし、驚くべき変装術を見せてくれます。憲法九条は専門家が研究しても、集団的自衛権行使など認めているとは、とても考えられません。それを政権が強引に解釈を変えようとする変装です。

 解釈改憲も集団的自衛権も難しい言葉です。でも、「お国」を守ることが個別的自衛権なら、他国を防衛するのが集団的自衛権でしょう。憲法は九条一項で戦争放棄を宣言し、二項で戦力の不保持と交戦権の否認をしています。一項は一九二八年のパリ不戦条約が基とされ、先進国では常識です。

 平和憲法の核心は、九条二項にあるのです。日本は近代戦を遂行する戦力を持ってもいけません。ドイツの哲学者カント(一七二四~一八〇四年)も「永遠平和のために」の中で、「常備軍は、時とともに全廃されなければならない」と訴えました。

 <なぜなら、常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることによって、ほかの諸国をたえず戦争の脅威にさらしているからである>

◆専守防衛で国民守る

 軍隊を持たねばいいというカントの考えは明瞭です。とくに日本国憲法はヒロシマとナガサキの悲劇を経てつくられました。大国同士が核ミサイルを撃ち合ったら、滅亡しかありません。ヒロシマの約四十日前にできた国連憲章と比べても、戦力を持たせない同条二項は先進的です。

 でも、国民を守るため、自衛の実力は必要だと過去の政権は考え、自衛隊がその役割を担いました。諸外国のように他国防衛もできる戦力ではなく、「専守防衛」の実力のみです。憲法の読み方のぎりぎりのラインなのです。

 中国や北朝鮮の脅威がさかんに唱えられていますが、もちろん個別的自衛権が使えます。でも他国防衛など、憲法から読み取るのは不可能です。無理筋なのです。

 集団的自衛権行使を封じることこそ、九条の命脈と言っても過言でありません。でも、政権はこの無理筋を閣議決定するつもりです。事例を限定する「限定容認論」という変装術も使います。

 五十五年も昔の最高裁判決を持ち出すのも変装です。個別的自衛権のことを言っている判例なのに、「集団的自衛権を認めている」と“誤読”するのです。

 政策は憲法の枠内でしか行えませんが、それを逆転させる変装術です。閣議決定されれば、九条二項は存在しないことと同じです。多くの有力な憲法学者に見解を聞く手続きが不可欠です。恐らくみんな「憲法は集団的自衛権を認めていない」と言うでしょう。

 米国は日本が手下になってくれるので、「歓迎」します。でも、自衛隊が海外へ出れば、死者も出るでしょう。わざわざ平和憲法がそんな事態が起きないように枠をはめているのに、一政権がそれを取り払ってしまうというのです。ここは踏みとどまるべきです。

 急“転回”を人ごとと思う空気こそ危機であるともいえます。危険を覚えるのが、限られた人々だけでは困ります。お天気のあいさつでもするように、みんなが「解釈改憲」を語るべきです。

 それどころか、護憲集会に自治体の後援拒否の動きが広がっています。大学でもそうです。学生が「憲法改正反対」を唱え、教室で集会を開こうとしたら…。明治大学は「思想色が強い」と判断し、集会は「認められない」。慶応大学も「学生有志による教室利用や集会は、理由にかかわらず認めない」と回答しています。

 若者の血が流れても「反戦集会」さえできないのでしょうか。

◆戦争を考える悪者は

 乱歩は別の作品で、怪人二十面相に戦争批判を語らせています。

 <まだ戦争をやろうとしているじゃないか(中略)そんなことを、考えているやつは、おれたちの万倍も、悪ものじゃないか>

 憲法解釈をおろそかにし、戦争に道を開けば、天下の大泥棒から悪者扱いされます。

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