2011.09.21 (Wed)
「正論」10月号より
正論10月号の写真はここ
論10月号はなんとも中途半端だった。
月刊誌の弱みで菅政権の終焉と野田政権の誕生をフォローできない狭間に落ち込んでしまった。
それに特集のタイトルがよくない。
「批判はもういい、希望を語ろう」である。
日本解体を図る民主党政権への批判を避けて、希望を語るような心境ではない。
火の見櫓の上に登って、半鐘を力いっぱい叩き続けたい心境である。
警鐘を鳴らすなどという生易しいものではない。
今月号で一番心に響いたのは、新連載の「根源へ 草船立言」(執行草船)である。
その一部を纏めてご紹介すると・・・
「戦後の日本は死を教えなくなった。戦後の日本人は本当の生を知らないまま生きるようになった。生だけをどんなに考えてもダメだ。知覧で特攻に出る前の日の青年たちはものすごくいい顔をしている。あんないい顔今の日本人には居ない。あれは死に方が決まり、自分の死に価値が出て来たからだ。人間は死に方が決まれば生き方が決まる。今の日本人が死ぬときはもう惨めと言うか、可哀想としい言いようがない。それは死生観を持たないからだ」
「近年日本で流行っている『自分探し』は死生観がないからだ。『自分探し』なんて無駄なことだ。探せば探すほどエゴイズムに深く入り込むだけだ」
「自分探しの旅」とかいう言葉のダッ嫌いなPonkoは思わず膝を打った。
Ponkoは「特攻隊」とか「自分探し」などの言葉に表面的に反応しているが、実は執行草船氏は、もっと深い事を言っている。
「中世が暗黒でルネッサンスが人間中心主義だという捉え方は間違いだったことが明らかになっている。ルネッサンスは物質主義の始まりであり、中世こそが人間中心主義だった・・・「パンとサーカス」のローマのように、日本も戦後民主主義をこのまま野放しにしておけば、宗教に深く帰依とした人でないと言葉も行動も信用できない社会になる」
もうすでに、日本の政治も、マスメディアも信用できない社会になっている。
明治天皇に殉じた乃木大将は死生観の鑑と述べているが、その理由を知って納得した。
そのワケを述べた後、執行氏は対談をこう締めくくっている。
「死生観を立てられる人間になれるかなれないかの違いは、詰まるところ『私は何であるのか』を考えながら生きている人なのか、『何が私であるのか』を考える中世的な人間なのかの違いなんです。中世のように『何が私であるのか』という考え方をすれば、必ず死生観は立てられるんです。逆に『私は何であるのか』と問い始めたら永遠にさまよいます。
『何が私であるのか』と考え続けて生きていた乃木希典は、『明治帝の命が私である』と決めることに至ったのです。自分の生命の対象物がはっきりすれば、必ず死生観は立てられるのです」
あまりにも深い。
さて気分を変えて他に目を転ずれば・・・
「折節の記」の某氏は相変わらず舌鋒鋭く、皮肉たっぷりに白人の国の偏見と杜撰な近隣諸国をやり玉に挙げている。
支那の「新幹線もどき」の事故だけでなく、韓国もこの一年半で53件、つまり10日に一件の割でトラブルがあり、300キロ運行を考え直すという。
「韓国といえば橋をかければ崩落し、デパートは客を入れたまま崩壊する国柄だ。こっちの方が支那よりよっぽどコワくないか」
「保守こそ希望を語れ」(潮匡人)
「(かつて)保守は輝いていた。その頂点は、安倍晋三内閣誕生の瞬間であったと思う」
「『改革が格差を生んだ』との喧伝が『生活が第一』なる俗論に力を与えた。実際、そう叫んだ政治勢力は、あっさりリベラル政権に与した。忘れてはならない。彼らも『保守』と呼ばれていたことを。『保守』の『新自由主義批判』がなければ、政権交代は起きなかったかも知れない」
ただ潮氏は「反米感情や反韓か感情をむき出しにした」「ネット『保守』の言論空間は救いがたい」とネット保守を批判している。確かに過激な反韓、反中、反米の言葉は慎むべきだが、「ネトウヨ」のレッテル貼りで保守を攻撃するサヨクに与する事になりはしないか。
この潮氏がコラム「CROSS LINE」で藤原雅彦氏を似非保守だと徹底的に批判している。
藤原氏はフジテレビ「新報道2001」(8月7日)で石原慎太郎氏と対談していたが、確かに石原氏の方が頷くことが多かった。
日中戦争を侵略戦争と断じ、厭戦平和主義、典型的な反米リベラルであり、もともと、保守思想とは無縁の人物である、と手厳しい。
この辺で肩の力を抜いて・・・
不肖・宮嶋、鬱陵島ニ突入ス(宮嶋茂樹)を読む。先月号の予告通り自民党の三議員が入国を拒否され、随行(?)した宮嶋氏もひどい目に遭う。
宮嶋氏の筆致は実に通快である。
「朝鮮人にとって今や日本は池に落ちた犬以下。どんな無理難題をふっ掛けてもシッポをふってついてくる負け犬国家である。ルーピーとペテンしかおらん現政権に媚薬かませて外国人参政権ゲットしたら、日本列島が朝鮮人のものになるのも時間の問題やと考えとるのである。たぶん・・・。せやから日本の国会議員に何をしても構わんと思っとるのである。きっと・・・」
次号も期待したい。
東シナ海も日本海も波高し
鬱陵島騒動の韓国に物申す
「入国拒否」とは非礼なり!
友好国の国会議員をテロリスト扱いするとは何事か
我が国も領土問題への姿勢を改めよ!(稲田朋美)
自民党の若きホープ稲田朋美氏の寄稿文。入国トラブルの顛末を克明に描いている。
民主党政権の及び腰に韓国は付け込んでいるとし・・・
「自民党政権下、政府は韓国が竹島を不法占拠していると堂々と国会で述べていた。例えば平成19年6月7日の参議院外交防衛委員会で当時の麻生太郎外務大臣は「竹島が韓国によって占拠されているという状況につきましは、これは国際法上何ら根拠がないままにその状態が続いているという、いわゆる不法占拠ということになろうかと思っておりますと答弁している。これに対し、民主党政権になってから、閣僚は『不法占拠』という言葉は使わない申し合わせをしている」
「『竹島問題』の解決には自分の国は自分で守るという気概と東京裁判史観からの脱却が必要である。戦後レジームからの脱却の問題としてとらえなければならない。自分の国は自分で守るという原点に戻らなければ、尖閣諸島も竹島のようになってしまう。今回の私たちの行動がそのための一歩になることを願っている」
このような自民党の3議員を「行くなら竹島に行け!」とテレビ番組で揶揄した辛坊治郎は韓国の回し者なのか。
朝日新聞と日経も3議員の行動を批判した。
「朝日・日経と読売・産経の違いが、改め浮き彫りになった。朝日と日経の社説は一見、中立的だが、国籍不明の主張である」(同誌「マスコミ走査線」(石川水穂))
「NHK殿 一筆啓誅」(本間誠一)
「NHKウォッチング」でNHKの反日サヨク振りを徹底的に批判し、受信料不払い運動を展開した今な亡き中村粲昭和史研究所代表の後を継いで、本間誠一氏が連載でNHKを切る。
オーストラリアの公共放送(ABC)が、テレビのコメディ番組で首相役の女性が国旗を纏って性行為をしたとして、ABCへの政府出資の見直しを求める動きがあるというのに、それにも増して国辱的なNHK番組に民主党が出資を見直すなどという話はとんと聞かぬ。
視聴者が受信料不払いでNHKと戦うしかないのではないか。
「新聞が書かない教科書採択の舞台裏」(村主真人)
民団が育鵬社と自由社の教科書不採択運動に取り組む様子が報告されている。
沖縄の育鵬社採択妨害運動が取沙汰されるなか、多くの人に知ってもらいたいものだ。
「市民の党代表『斉藤まさし』の正体と民主党」(野村旗守)
「拉致と『自主革命党』、そして『市民の党』の深い闇」(西岡力)
首相を辞任したからといって、あの男と「市民の党」の献金問題をうやむやにしてはならない。
新聞が追及しないならば、週刊誌と雑誌がその仕事をしなければならない。
なんだかんだ言ってもやはり「正論」は必読である。
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論10月号はなんとも中途半端だった。
月刊誌の弱みで菅政権の終焉と野田政権の誕生をフォローできない狭間に落ち込んでしまった。
それに特集のタイトルがよくない。
「批判はもういい、希望を語ろう」である。
日本解体を図る民主党政権への批判を避けて、希望を語るような心境ではない。
火の見櫓の上に登って、半鐘を力いっぱい叩き続けたい心境である。
警鐘を鳴らすなどという生易しいものではない。
今月号で一番心に響いたのは、新連載の「根源へ 草船立言」(執行草船)である。
その一部を纏めてご紹介すると・・・
「戦後の日本は死を教えなくなった。戦後の日本人は本当の生を知らないまま生きるようになった。生だけをどんなに考えてもダメだ。知覧で特攻に出る前の日の青年たちはものすごくいい顔をしている。あんないい顔今の日本人には居ない。あれは死に方が決まり、自分の死に価値が出て来たからだ。人間は死に方が決まれば生き方が決まる。今の日本人が死ぬときはもう惨めと言うか、可哀想としい言いようがない。それは死生観を持たないからだ」
「近年日本で流行っている『自分探し』は死生観がないからだ。『自分探し』なんて無駄なことだ。探せば探すほどエゴイズムに深く入り込むだけだ」
「自分探しの旅」とかいう言葉のダッ嫌いなPonkoは思わず膝を打った。
Ponkoは「特攻隊」とか「自分探し」などの言葉に表面的に反応しているが、実は執行草船氏は、もっと深い事を言っている。
「中世が暗黒でルネッサンスが人間中心主義だという捉え方は間違いだったことが明らかになっている。ルネッサンスは物質主義の始まりであり、中世こそが人間中心主義だった・・・「パンとサーカス」のローマのように、日本も戦後民主主義をこのまま野放しにしておけば、宗教に深く帰依とした人でないと言葉も行動も信用できない社会になる」
もうすでに、日本の政治も、マスメディアも信用できない社会になっている。
明治天皇に殉じた乃木大将は死生観の鑑と述べているが、その理由を知って納得した。
そのワケを述べた後、執行氏は対談をこう締めくくっている。
「死生観を立てられる人間になれるかなれないかの違いは、詰まるところ『私は何であるのか』を考えながら生きている人なのか、『何が私であるのか』を考える中世的な人間なのかの違いなんです。中世のように『何が私であるのか』という考え方をすれば、必ず死生観は立てられるんです。逆に『私は何であるのか』と問い始めたら永遠にさまよいます。
『何が私であるのか』と考え続けて生きていた乃木希典は、『明治帝の命が私である』と決めることに至ったのです。自分の生命の対象物がはっきりすれば、必ず死生観は立てられるのです」
あまりにも深い。
さて気分を変えて他に目を転ずれば・・・
「折節の記」の某氏は相変わらず舌鋒鋭く、皮肉たっぷりに白人の国の偏見と杜撰な近隣諸国をやり玉に挙げている。
支那の「新幹線もどき」の事故だけでなく、韓国もこの一年半で53件、つまり10日に一件の割でトラブルがあり、300キロ運行を考え直すという。
「韓国といえば橋をかければ崩落し、デパートは客を入れたまま崩壊する国柄だ。こっちの方が支那よりよっぽどコワくないか」
「保守こそ希望を語れ」(潮匡人)
「(かつて)保守は輝いていた。その頂点は、安倍晋三内閣誕生の瞬間であったと思う」
「『改革が格差を生んだ』との喧伝が『生活が第一』なる俗論に力を与えた。実際、そう叫んだ政治勢力は、あっさりリベラル政権に与した。忘れてはならない。彼らも『保守』と呼ばれていたことを。『保守』の『新自由主義批判』がなければ、政権交代は起きなかったかも知れない」
ただ潮氏は「反米感情や反韓か感情をむき出しにした」「ネット『保守』の言論空間は救いがたい」とネット保守を批判している。確かに過激な反韓、反中、反米の言葉は慎むべきだが、「ネトウヨ」のレッテル貼りで保守を攻撃するサヨクに与する事になりはしないか。
この潮氏がコラム「CROSS LINE」で藤原雅彦氏を似非保守だと徹底的に批判している。
藤原氏はフジテレビ「新報道2001」(8月7日)で石原慎太郎氏と対談していたが、確かに石原氏の方が頷くことが多かった。
日中戦争を侵略戦争と断じ、厭戦平和主義、典型的な反米リベラルであり、もともと、保守思想とは無縁の人物である、と手厳しい。
この辺で肩の力を抜いて・・・
不肖・宮嶋、鬱陵島ニ突入ス(宮嶋茂樹)を読む。先月号の予告通り自民党の三議員が入国を拒否され、随行(?)した宮嶋氏もひどい目に遭う。
宮嶋氏の筆致は実に通快である。
「朝鮮人にとって今や日本は池に落ちた犬以下。どんな無理難題をふっ掛けてもシッポをふってついてくる負け犬国家である。ルーピーとペテンしかおらん現政権に媚薬かませて外国人参政権ゲットしたら、日本列島が朝鮮人のものになるのも時間の問題やと考えとるのである。たぶん・・・。せやから日本の国会議員に何をしても構わんと思っとるのである。きっと・・・」
次号も期待したい。
東シナ海も日本海も波高し
鬱陵島騒動の韓国に物申す
「入国拒否」とは非礼なり!
友好国の国会議員をテロリスト扱いするとは何事か
我が国も領土問題への姿勢を改めよ!(稲田朋美)
自民党の若きホープ稲田朋美氏の寄稿文。入国トラブルの顛末を克明に描いている。
民主党政権の及び腰に韓国は付け込んでいるとし・・・
「自民党政権下、政府は韓国が竹島を不法占拠していると堂々と国会で述べていた。例えば平成19年6月7日の参議院外交防衛委員会で当時の麻生太郎外務大臣は「竹島が韓国によって占拠されているという状況につきましは、これは国際法上何ら根拠がないままにその状態が続いているという、いわゆる不法占拠ということになろうかと思っておりますと答弁している。これに対し、民主党政権になってから、閣僚は『不法占拠』という言葉は使わない申し合わせをしている」
「『竹島問題』の解決には自分の国は自分で守るという気概と東京裁判史観からの脱却が必要である。戦後レジームからの脱却の問題としてとらえなければならない。自分の国は自分で守るという原点に戻らなければ、尖閣諸島も竹島のようになってしまう。今回の私たちの行動がそのための一歩になることを願っている」
このような自民党の3議員を「行くなら竹島に行け!」とテレビ番組で揶揄した辛坊治郎は韓国の回し者なのか。
朝日新聞と日経も3議員の行動を批判した。
「朝日・日経と読売・産経の違いが、改め浮き彫りになった。朝日と日経の社説は一見、中立的だが、国籍不明の主張である」(同誌「マスコミ走査線」(石川水穂))
「NHK殿 一筆啓誅」(本間誠一)
「NHKウォッチング」でNHKの反日サヨク振りを徹底的に批判し、受信料不払い運動を展開した今な亡き中村粲昭和史研究所代表の後を継いで、本間誠一氏が連載でNHKを切る。
オーストラリアの公共放送(ABC)が、テレビのコメディ番組で首相役の女性が国旗を纏って性行為をしたとして、ABCへの政府出資の見直しを求める動きがあるというのに、それにも増して国辱的なNHK番組に民主党が出資を見直すなどという話はとんと聞かぬ。
視聴者が受信料不払いでNHKと戦うしかないのではないか。
「新聞が書かない教科書採択の舞台裏」(村主真人)
民団が育鵬社と自由社の教科書不採択運動に取り組む様子が報告されている。
沖縄の育鵬社採択妨害運動が取沙汰されるなか、多くの人に知ってもらいたいものだ。
「市民の党代表『斉藤まさし』の正体と民主党」(野村旗守)
「拉致と『自主革命党』、そして『市民の党』の深い闇」(西岡力)
首相を辞任したからといって、あの男と「市民の党」の献金問題をうやむやにしてはならない。
新聞が追及しないならば、週刊誌と雑誌がその仕事をしなければならない。
なんだかんだ言ってもやはり「正論」は必読である。
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テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済
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