2019.10.17 (Thu)
衛藤沖・北相が靖国神社参拝
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言論が自由過ぎる日本に「不自由」はない
衛藤晟一沖縄・北方担当相が今日、秋季例大祭に合わせて靖国神社を参拝した。
高市早苗総務相の参拝以来2年半振りである。

産経ニュース(2019/10/17)
衛藤沖北相が靖国参拝、閣僚は2年半ぶり
衛藤晟一沖縄北方担当相は17日、東京・九段北の靖国神社を秋季例大祭に合わせて参拝した。閣僚の参拝が確認されたのは約2年半ぶり。衛藤氏は産経新聞の取材に「国民の幸せと平和をお祈りするために参拝した。国のために尊い命を犠牲にされた方をお参りするのはどこの国でも当然のことだ」と語った。
しかし相変わらず中韓の反発を危惧するお馬鹿メディアもある。
「閣僚の靖国参拝は2017年4月の高市早苗総務相(当時)以来、2年半ぶり。同神社には第2次世界大戦のA級戦犯が合祀されており、参拝には中韓両国の反発も予想される。」 (時事ドットコム)
しかし肝心の安倍首相は参拝していない。
首相や閣僚が靖国神社に参拝したことがニュースになること自体がおかしい。
参拝しなかったことがニュースになるのはいつの日だろうか。
おまけに昨日のお笑いニュース。
今回の超大型台風でも八ッ場ダムはギリギリのところで緊急放出もせず、利根川の氾濫を抑えた。
数日前から少しずつ貯水を放出して台風襲来に備えていたという。
かつて民主党の前原誠司国交相がダム建設の中止宣言をしたのはご承知のとおり。
立憲民主党の陳哲郎こと福山哲郎幹事長は「批判することはナンセンスだ」と国会内で開き直った。
産経ニュース(2019/10/16)
「八ツ場ダムで民主党批判はナンセンス」 立民幹事長が反発
立憲民主党の福山哲郎幹事長は16日、台風19号に伴う利根川の氾濫防止に寄与した八ツ場ダム(群馬県)の建設工事を一時、凍結した旧民主党政権を自民党が批判したことについて「台風対応に懸命に取り組まなければいけないのに、批判すること自身がナンセンスだ」と反発した。国会内で記者団に語った。
福山氏は「後から鬼の首とったような議論をするのは今の段階で適切だとは思わない」とも話した。同時に「頻繁に災害が起こる中で何が一番、国民負担が少なく、安心・安全な国土形成ができるのかという議論をすべきだ」と強調した。自民は参院予算委で、松山政司元科学技術担当相が八ツ場ダムについて「(旧民主党政権が掲げた)『コンクリートから人へ』というかけ声のもとで、紆余曲折を経てきた」などと述べた。(以下略)
民主党は「首を取られた」と自認したということだ。
旧民主党出身の玉キンこと玉木雄一郎・国民民主党代表は「八ッ場ダムを復活したのは民主党政権だ」とふんぞり返った。
過去の傷口にみずから塩を塗り込むオバカさん達である。
黙って自民党の批判を甘受して居ればいいものを。
同じく野党の国民民主・森裕子議員が「イタリアの避難所ではワインを出す。日本も出したら」と安倍首相に繰り返し迫ったという。
この議員、おバカさんだとは思っていたが、やっぱりお馬鹿さんだった。
FNN Prime の平井文夫フジTV解説委員の永田町4コマ劇場が取り上げている。

今回の台風で、完成したばかりの八ッ場ダムが満水状態になった映像は衝撃だった。もし10年前の民主党政権のマニフェスト通りに工事を中止していたらあの水がすべて利根川に流れたのかと想像してゾッとした。
さらにもし荒川が決壊したら東京の東部は甚大な被害を受けただろうが、あの地域を洪水から守ることができるのは、民主党政権での事業仕分けで中止を決めたスーパー堤防だけである。
だからいい機会なので民主党は間違っていたのではないか、ということも含め、災害対策のインフラ整備というハード面や、情報提供、避難などのソフト面について議論があるのかと期待したのだ。しかし「仕分けの女王」と言われた蓮舫さんも登場したものの、彼女はクールジャパンの投資の失敗などに多くの時間を費やし、台風のことはほとんど聞かなかった。少なくとも昨日は、お金儲けの話より、災害対策について議論をすべきではなかったのか。
平井文夫氏の主張はいつも正しい。
しかしパヨクマイナーメディアの「港商売オンライン」などが「幼稚な八ッ場ダム翼賛デモだ!へそで茶を沸かす」などとイキリ立っていた。
事実に基づかない論評や、悪意ある論評、なんでもアリの日本は「表現の自由」のお手本だ。
「表現の不自由」「政権の圧力」など、どこにもありゃしない。
むしろ自由過ぎて日本が迷走しているというのが現状だ。
安倍首相には野党や反日左翼メディアの大波小波を乗り越え日本丸の舵取りをしてもらいたいものだ。
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2019.10.17 (Thu)
「あいトリ」擁護の朝日社説の過激さに驚いた
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反日朝日は保守派言論人と徹底的に公開討論せよ
この朝日新聞社説は、同社が完全に日本人の敵であることを証明した。
朝日の反日姿勢は十分認識している積りだったが、これほど酷く激しいものとは知らなかった。
慰安婦像の展示や昭和天皇の御真影に対する侮辱、神風特攻隊に対する侮辱、その他数え切れないほどの反日姿勢を現したガラクタは芸術でも何でもない。
汚らしい政治的な主張でしかない。
そのおぞましいガラクタに対する河村名古屋市長その他の常識人の拒否反応を「断片情報に基づく批判」とか「作品を見ていない」とか「制作意図にも触れていない」「表面的な事象だけを捉えている」と身勝手な言葉を羅列して朝日新聞は批判した。
さらには「行政が道を踏み外して暴力で芸術を圧殺」、慰安婦像や昭和天皇の写真に対する侮辱を「『日本へのヘイト』と批判したのはこれもあきれる話だ」とさえ言い切った。
しかし、良識ある日本人にとっては「ヘイト」以外の何物でもない。
そもそもヘイトとは、在日朝鮮人が多く住んでいる川崎方面で一部の過激な活動家が「朝鮮人は日本から出て行け」とデモをしたカウンターとして、左翼がそれを阻止するために作り出した横文字だ。
今ではヘイト禁止の法律まで出来てしまった。
その為に、正しい主張も「ヘイト」の一言で左翼に葬られる時代になってしまった。
この朝日新聞社説は絶対に看過できない。
しかし、最後の一節だけには賛同する。
「ゆるがせにできない課題が数多く残されている。閉幕で一件落着ということにはできない。」
その通りだ。
これで終わりではない。
「あいトリ」の評価を朝日新聞その他の報道関係者、言論人が一堂に会してエンドレスで公開討論すべきものと考える。
朝日新聞(2019/10/16)
あいち芸術祭 閉幕後も山積する課題
あいちトリエンナーレが閉幕した。脅迫や執拗(しつよう)な抗議で中止に追い込まれた企画「表現の不自由展・その後」は、最終盤になって再開にこぎつけた。入場が抽選制になるなどの制限は残ったが、不当な圧力に屈しない姿勢を示せたのは良かった。
一連の出来事は、表現活動をめぐる環境が極めて危うい状態にある現実を浮き彫りにした。引き続き問題の所在を探り、是正に取り組む必要がある。
騒ぎの発端は、作品を見ることも、制作意図に触れることもないまま、断片情報に基づく批判が開幕直後に寄せられたことだった。
河村たかし名古屋市長ら一部の政治家が、同じく表面的な事象だけをとらえて攻撃を加え、火に油を注いだ。
とどめは文化芸術を守るべき文化庁だ。9月下旬になって、内定していた補助金の不交付を決めるという暴挙に出た。
申請手続きに不備があったというのが理由だが、菅官房長官らは早々と8月初めの時点で支給の見直しを示唆している。表現そのものに圧力をかけようという意図は明白だ。補助金の審査に関わる外部専門家の意見も聞かず、再検討の経緯を記録した文書もない。行政が本来の道を踏み外し、暴力で芸術を圧殺しようとした勢力に加担した。そう言わざるを得ない。
宮田亮平長官は東京芸術大学の前学長だ。事態の深刻さは認識しているはずだが、部下が不交付を決め、自分は関与していないと釈明する。本当であれば組織の長としての資質を欠く。文部科学相も首相も「われ関せず」を決めこんでいる。
全てがあいまいなまま、補助打ち切りという事実だけが残ればどうなるか。「議論を呼んだり、政府ににらまれたりする恐れのある活動は控えよう」という萎縮が広がるのは必至だ。
美術、文学、音楽を問わず、既成の概念や価値観をゆさぶる作品が、次の時代を切り開き、自由で多様な方向に世界を広げる原動力になってきた。それが否定されてしまえば、社会は閉塞(へいそく)状況に陥るばかりだ。
慰安婦に着想を得た少女像や昭和天皇を含む肖像などが燃える映像作品に対して、「日本へのヘイト」との批判も飛び出した。これもあきれる話だ。 表現の自由への過度な制約にならぬよう、規制すべきヘイト行為とは何か、社会全体で議論を重ね、定義づけ、一線を引いてきた。明らかにそれに当たらない作品をヘイトと指弾することは、蓄積を無視し、自分が気に食わないから取り締まれと言うだけの暴論でしかない。
表現の自由への過度な制約にならぬよう、規制すべきヘイト行為とは何か、社会全体で議論を重ね、定義づけ、一線を引いてきた。明らかにそれに当たらない作品をヘイトと指弾することは、蓄積を無視し、自分が気に食わないから取り締まれと言うだけの暴論でしかない。
ゆるがせにできない課題が数多く残されている。閉幕で一件落着ということにはできない。
産経新聞の解説も併記しておこう。
産経ニュース(2019/10/14)
不自由展に批判殺到
燃やされた昭和天皇の肖像は「ビジュアル化」なのか
開幕3日で中止に追い込まれた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が、賛否の議論が激しさを増す中で再開された。愛知県などには連日100件以上の抗議電話が殺到。特に昭和天皇の肖像を燃やすような動画の展示に批判が相次いだ。だが、極めて重要な問題でありながら、ほとんど論じられていないことがある。燃やされたのは昭和天皇の、どんな肖像だったのか-。(社会部編集委員 川瀬弘至)
ヘアヌードとコラージュ
「(昭和天皇の肖像を燃やすような)映像は20分の全体を鑑賞しない限り作家の意図を理解できない作品である」「(しかし)SNSで流通した『昭和天皇』の肖像画を燃やす場面だけを見た人が問題視し、天皇侮辱を目的とする作品と誤解し激しく批判した」
愛知県が設置した「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」が9月25日に公表した、不自由展の中止問題をめぐる中間報告の一部である。検証委は動画について、作者である大浦信行氏の主張を受け入れ、「戦前の日本国の象徴としての人々の心の中の天皇をビジュアル化したもの」と結論づけた。
だが、この見解には大きな疑問が残る。動画が「人々の心の中の天皇」といえるかどうかだ。なぜなら、動画で燃やされた昭和天皇の肖像は、女性のヘアヌードなどと重ね合わせたコラージュ作品だったからだ。
作品のタイトルは「遠近を抱えて」。昭和天皇の写真とヘアヌード、入れ墨のお尻、頭蓋骨、解剖図などをコラージュした14点の版画で、うち10点が昭和61年、富山県立近代美術館の企画展で展示された。しかし県議会などで「不快」と批判され、美術館は作品を売却、図録を焼却処分した。
今回の不自由展に動画が出品された背景には、こうした経緯がある。ただ、燃やされる映像は昭和天皇の肖像部分をアップで映し出し、ほかのコラージュが分かりにくいため、肖像そのものを燃やしていると“誤解”されたのだ。
(以下有料記事)
コラージュであれ何であれ、明らかに御真影がバーナーで焼かれ、踏みにじられたのである。
それに加えてヘアヌード、刺青の尻、頭骸骨、解剖図とコラージュと来たら、これはもう論外中の論外である。
「表現の不自由展」だから当然のことながら各地で「不快だ」と拒否され、忌み嫌われた作品である。
そんな規格外の「不快なガラクタ」を芸術と称して一堂に集めて何の意味があるのか。
その上、公的機関で税金を使って実施する意義など更々ない。
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