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2015.05.27 (Wed)


国会論戦、戦争が怖いと野党、国民の不安煽る


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朝日新聞も不安煽る

 今日の安保法制を巡る国会論戦の後半をテレビで見た。
維新の党の柿沢未途議員が質問していたが、早い話が自衛隊員に一人でも犠牲が出てはいけない、自衛隊員の命を守れという一点であった。
安倍首相も呆れながら丁寧に答弁していたが、答弁の時間が長すぎると議長に注意された。
テレビ中継を意識して、国民に丁寧に分かりやすく説明しようとしているのに、愚問によってその意図が阻まれるやりとりが多々見られた。

朝日新聞は昨日の国会を報道するなかで、自社の世論調査で今国会で成立させる「必要が無い」という回答が60%(「必要がある」は23%)という結果が出たと喜び勇んで引用していた。

朝日新聞(2015/5/27)
安保国会、怒号・野次で開幕 審議後半には退席相次ぐ


(前文略)

■「人の命の問題」国会前、抗議の声

 「戦争法案、今すぐ廃案!」「戦争する国、絶対反対!」。本会議開会を1時間後に控えた正午、国会前には約900人(主催者発表)が集まり、抗議の声を上げた。作家の鎌田慧さんらが発起人の「戦争をさせない1000人委員会」などが呼びかけ、民主、共産、社民などの国会議員も加わった。


(と抗議活動を紹介)

東京都小金井市の主婦、東京都小金井市の主婦、浅野由紀子さん(65)は、自衛隊員のリスクをめぐる議論について、安倍首相が「木を見て森を見ない議論が多い」と発言したことに疑問を感じて来た。「人の命の問題。首相は日本の安全のためと言うが、実際はアメリカのために隊員の命を軽んじているのでは」
東京都東村山市の元地方公務員の男性(67)は妻(66)と初めて傍聴に来た。「再び戦争になるのでは。黙って家にいられない


(と例のごとく、市民の声を取り上げる。
「再び戦争になるのでは。黙って家には居られない」と仰る定年退職後の公務員さん、もしかして高校の卒儀式で起立して「君が代」を斉唱しなかったために定年後の再就職断られて訴訟した教員さんとちゃいますか?

朝日新聞の天声人語が「てだれの志位共産党委員長」と褒め称えた志位氏も自信ありげに質問していたが、「ポツダム宣言は世界秩序の起点だ」と主張する天声人語と一心同体)

しかし、一方ではZAKZAKの戦後まもなく機雷掃海に参加した人たちの記事は胸を打つ。

⇒ZAKZAK(2015/5/27)
旧海軍出身者が引き受けた「肉弾掃海」 復興を助けた自己犠牲の精神


(前文略)

 しかし、誰もが貧しかった時代とはいえ、いくら高額な手当が付いても、戦争が終わったというのに自ら機雷に当たりに行こうという者は民間にはいなかった。まして、民間船は戦時中に多くの犠牲者を出した経験もあり、労働組合が力をつけていたことから、結局、この危険な仕事を引き受けたのは旧海軍出身者たちだったのだ。

 一度は国に捧げた身、水漬く屍(みづくかばね=海行かばの一節)となる覚悟はあったものの、すでに世の中が手のひらを返したように平和を謳歌(おうか)し、御国のために死ぬなんてバカげているといった空気が生まれていたころである。誰もが躊躇(ちゅうちょ)しなかったと言えば嘘になるだろう。しかし、「やはり俺たちがやらねば」と立ち上がった人たちがいたのだ。

 当時の回顧録には「多くの戦友が眠る海に、もう一度行かねばならぬ」とある。日本の価値観はガラリと変わったが、実際に復興を助けたのはこうした自己犠牲の精神だったのだ。日本人はあたかも自然に国が立ち直ったかのように思っているようだが違うのだ。
わが国の独立についても同じことが言える。朝鮮戦争が勃発し、日本の掃海部隊は米国の命によりここでも掃海作業を行い、1人が殉職している。そのことがサンフランシスコ講和条約を有利に進めたと言われているのである。

 航路啓開(けいかい=水中の障害物を除き、船が航行できるようにすること)による殉職者77人にしても、戦争が終わり復員して親を喜ばせたばかりである。また、新婚の者もいた。彼らの死は長年秘匿されたが、当時の海上保安庁長官は事故が起こると現場に行き、隊員たちが人知れず散った海に花を投げ涙を流したのだという。

 その後、日本は平和を満喫し、一人前の国になった。しかし今、彼らのために誰が泣き、感謝をするのだろうか。戦後の日本はこうした真実から目を背けてきた。
安保法制議論以前に知るべきは、「人任せで得られる平和はない」ということではないか。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ)

(引用終わり)

一方で安保法制の成立を目指す安倍首相を潰そうとしている中国が居る。
今国会で速やかに成立されることは焦眉の課題なのである。

⇒ZAKZAK(同上)
【スクープ最前線】南シナ海で暴挙続けば米中開戦の恐れ 死に物狂いで“安倍潰し”に走る中国


(前文略)

外事警察関係者がいう。

 「中国側による、日本への(サイバー)攻撃が確かに激化している。『安倍晋三首相さえいなくなれば、日本はすべて言いなりになる』と、新たな『安倍首相潰し』『安倍政権潰し』の工作が、韓国側や一部メディアとともに、国内外で展開されている。歴史認識や安全保障をめぐる突出した批判もこの一環だ。沖縄での動きが特に激しい」

 安倍首相が狙われている。中国は死に物狂いだ。その背景には、安倍首相の4月訪米が大成功し、日米同盟が深化・強化され、現実に動き始めたことがある。中国が世界の政治、文化の中心であり、漢民族は他民族に優越している、そんな「中華思想」に基づいて世界覇権を狙う中国にとって、これに立ちはだかる日米同盟は邪魔なのだ。

 安倍首相に申し上げたい。米中両国から「どっちの味方だ」と責められて頭を抱えている、朴槿恵(パク・クネ)大統領率いる韓国などは放っておけばいい。ただ、中国については、微塵(みじん)たりとも油断してはならない

 ■加賀孝英(かが・こうえい) ジャーナリスト


(引用終わり)


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18:49  |  国会より  |  TB(0)  |  CM(9)  |  EDIT  |  Top↑

2015.05.27 (Wed)


曽野綾子氏「移民歓迎ただし棲み分け」騒動について


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人種偏見と言うバッシングは見当違い

 前エントリーで 曽野綾子氏の「透明な歳月の光」を引用したついでに、今年の2月11日付きの同コラムで「労働力不足と移民」を書いて波紋を呼んだことについて書く。

 曽野氏の主張は日本はもとより、海外のメデイアが「アパルトヘイトを賛美している」と言って大騒ぎし、安倍政権になてからこのような論調が増えたとか言い出す始末。
駐日ブラジル大使は「アパルトヘイト」を容認するのかと反論、アフリカ日本協議会は産経新聞に抗議文を送った。

この「事件」を当ブログは取り上げなかったが、一言で言えば、日本の労働力不足を移民で解決せよという主張には全面的に与することはできない。
しかし、棲み分けの必要性はあると思う。
ある地域に大量の異国人が移り住んで来たために、その国の住民が逃げ出すなどという例は世界各国枚挙にいとまがない。
日本とて同じ現象は起きている。
宗教や生活習慣が異なる民族が特定地域に共存することは不可能に近い。
リベラリスト達の主張する「共生」などというのは所詮はまやかしものなのだ。

例えばPonkoの住宅地に国籍が北朝鮮の家族が住んでいるが、仲良く交際している。それは彼等が日本人と区別が出来ないほど日本に馴染んでいるからだ。
これが一区画を多数の朝鮮人家族が占拠して独自の共同体を作ったらたまったものではない。
おそらく逃げ出すだろう。
それは人種差別などというものではなく、生活防衛のためだ。

 曽野氏のような硬派の正論は得てして世論のバッシングを受けるものだ。
生活保護者や年寄りを甘やかすな、主婦は子供生んだら家に居ろなどと言い出したら、世の中のリベラリストの絶好の餌食になるのは間違いない。
しかし曽野氏の論調は世間様からそんなに大バッシングを受けるようなものかというと、そうではない。
そこにはキラリと光る一片の真実(真理)がある。

【追記】アジア諸国からの若い看護婦の養成に日本語の難しさや試験の難しさが障害になっているために少しでも緩和しようとする動きがある。

産経新聞(2015/2/11)
【曽野綾子の透明な歳月の光】
労働力不足と移民 「適度な距離」保ち受け入れを

 最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めなければならないという立場に追い込まれている。

 特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。

 どの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでいいのだ。

「おばあちゃん、これ食べるか?」

 という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。

 しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。

 ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。

 もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった

 南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活はまもなく破綻した。

 黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションにどんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。

 住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、一戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。

 間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。

 爾来、私は言っている。

「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」


(引用終わり)

アメリカに行ってまで「捏造ではない」と自分の正当性を主張する植村隆元朝日新聞記者を批判することを「バッシング」とは呼ばないが、曽野綾子氏の持論を人種差別だと批判するの「バッシング」である。

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14:14  |  これぞ正論  |  TB(0)  |  CM(5)  |  EDIT  |  Top↑

2015.05.27 (Wed)


曽野綾子氏が「戦前と似てきた」論を撃破


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体験もしないのに嘘を付くなと

 最近の安倍政権の施策、特に安保法制の整備について、野党やマスメディアがこぞって「戦前の日本に似てきた」と言い募り、国民もまたその気になっていることに違和感を覚えていた矢先、今日の産経新聞で曽野綾子氏がその風潮を完全論破して快哉を心の中で叫んだ。

 一言で言えば、「戦前の日本に似てきた」と言う人間のおそらく90%以上が「戦前の日本」の実情を知らないのだ。
知りもしないくせに、知ったような顔をしてあれこれ言う人間は一番嫌いだ。

 そこには曽野氏の言う「中国には一匹の蝿も居ない。人々は共産主義体制の中でみんな幸せだ」という誤ったメッセージを信じ込んでしまった自分がいる。
あれ以来、蝿といえば映画「座頭市」で茶碗飯を食っているの勝新太郎がぶんぶん飛び回る空中の蝿を箸でキャッチする場面と重なり合って脳裏によみがえってくる。

 自分が体験したこともないことを想像であれこれ言うのは論外だが、実体験したことを感傷的に訴える語り部の言葉も人々の判断を誤まらせる危険がある。
例えば、戦争の悲惨さを訴えることは必要だが、それが特定の思想信条を持つグループに利用されて非現実的な一国平和主義や憲法9条改正、安倍政権批判に利用されることは許せない。

 曽野氏が結語しているように、「流行りの表現でものを言うのは、ほんとうは恐ろしいこと」だ。
新聞の読者やテレビの視聴者は騙されてはならない。

産経新聞(2015/5/27)
【曽野綾子の透明な歳月の光】
「戦前と似てきた」論の奇妙
流行表現を受け売りする危うさ

 最近、週刊誌、新聞、テレビなどで、安倍政権批判とむすびつけて「最近の日本には、戦前の日本と似た空気を感じる」という表現を度々聞くようになった。

 戦前戦中の日本を、13歳まで知っていた私には、あまり思い当たることがない。昔の日本は、ある意味では健全に貧しく質素で、封建的空気があったから、今の自由な日本は私にとって全く違う世界だ。ただし当時は、「満州における日本の権益を支那の勢力から守るため」という一種の「国民的目的」は掲げられていたから、元気はあったような気もする。しかしいずれにせよ13歳の娘っこの記憶など当てにならない。

 つい最近も同じような言葉で、「戦前と似てきた」という72歳の読者の投書を読んだ。私は自分が83歳にもなる癖して、人間が70歳を過ぎていると、かなりの年だと思い込む癖がある。
 しかしその日ばかりは、私は少し冷静だった。今年83歳の私が、終戦の時13歳で、軍需工場に動員された「女工」の最年少組たった。当時の日本は、13歳の未成年さえ動員しなければ、終末的戦争に対応できなかったほど追い詰められていたのである。

 しかしいかにも体験からものを言っているように見えるこの72歳は、終戦時満2歳だ。開戦前日本のいやな空気を知っているというからには、それから少なくとも4、5年前を大人として生きていなければならない。そんな年にはこの方はまだ生まれていなかったはずだ。

 現在の安倍政権を批判するのは自由だ。しかし人の眼や言葉を借りてものを言うものではない。こういう批判には、必ず「流行の」表現ができるのである。 もう何十年も前のことになるが、日中平和友好条約が締結される前も、中国は日本にいろいろな形で圧力をかけた。日本の産経以外の新聞社やマスコミ、知識人の多くもそれに全く抵抗しなかった。なかには「アゴアシ」つきで招待された中国に何力月も滞在し、ほめもしなかったが、中国について一切批判しなかった文学者もいた。
 当時中国に行った人たちの多くが好んで使った表現がある。中国にはハエがいない。犯罪もない。毛沢東主席のおかけで、人民は一人残らず幸せに暮らしている。
 何億もの人民が、全員幸せだなどということがあるはずはないが、日本人は政府の役人から、農協職員、教育者までが、「中国では、子供たちの眼が輝いていた」と報告書に書くのがお決まりだった。

 自分の見聞きしたことだけで文章は書くべきだ。最近の流行りの安倍政権批判を「戦前の空気と似てきた」という言い方で書ける人は、開戦の昭和16年には、最低限15歳になっていて当然だろう。それでも戦前のいやな空気を意識したのは10歳を過ぎたばかりということになるから、早熟な秀才だけにできたことになる

 流行りの表現でものを言うのは、ほんとうは恐ろしいことなのである。新聞の読者も、世論をそういう形で見守る義務がある。


(引用終わり)


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11:47  |  集団的自衛権  |  TB(0)  |  CM(7)  |  EDIT  |  Top↑
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