2015.01.20 (Tue)
正しい歴史認識は自虐史観の克服から
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勝者の論理に惑わされるな
19日の産経新聞一面で坂元一哉阪大教授が1月3日の朝日新聞社説の誤解を指摘している。
朝日社説は、「日本は戦争責任をA級戦犯に負わせる形で国としてのけじめをつけた。だから日本の首相はA級戦犯が祀られている靖国神社に参拝してはならない」というが、それは誤解であると言う。
実際にはそれは「誤解」ではなくて、歪曲した言い掛かりである。
サンフランシスコ平和条約では日本の戦争責任については言及されていない。
戦後の日本を生きてきた人たちは、敗戦時にアメリカ占領軍に戦争責任は旧日本軍にあり、国民一般は被害者であって悪くないと教えられてきた。
しかし、当時の一般的な国民感情としては、敗戦という虚脱状態の中でも日本軍を悪とする気持ちはさらさらなかった。
それが次第にGHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム)によってそのように洗脳されてしまったのである。
「悪いのは旧日本軍であり日本国民は被害者だ」という日本分断作戦はアメリカだけでなく中国の周恩来の取った戦略でもある。
いわばこの「あなたは正しかった作戦」で日本国民を丸め込もうとしても、アメリカと闘ったのはあなたの父親であり叔父であり、あるいは祖父である。
坂元教授は最後に・・・
「戦後の日本が、国民全体で戦争責任を負ってきたことを忘れるべきではない」
というが、この主張は半分正しく、半分間違っている。
正しくは「国民全体であの戦争を戦った。しかし、武運拙く負けてしまった。戦争は勝った国が常に正義である。したがって敗戦を自虐的に捉えてはならない」ということである。
(産経ウェブにはまだアップされていないので全文をコピペさせ頂く)
産経新聞(2015/1/19)
世界のかたち、日本のかたち
戦争反省史に見る誤解
坂元一哉(大阪大教授)
「日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受諾し、主権を回復した。戦争責任をA級戦犯に負わせる形で国としてのけじめをつけた。この事実は否定しようがない」
これは3日の朝日新聞社説(「日本人と戦後70年忘れてはならないこと」の一節である。私は、戦後70年の今年は、この社説に見られるような誤解を正すためにも、過去の戦争の歴史だけでなく、この70年間の、戦争反省の歴史もよく振り返る年にすべきだと思う。
社説は、日本が連合国48力国と結んだサンフランシスコ平和条約の基本的な性格を忘れているようである。吉田茂首相は条約を受諾する演説のなかで、それを「和解」と「信頼」の文書と呼んだが、その最も重要な特徴の一つは、戦争責任にまったく言及しないことだった。
たしかに、条約の第11条には、日本が東京裁判など連合国による軍事裁判の諸判決を受諾する、という趣旨の文言がある。だがそれは、裁判で有罪判決を受け服役中の戦犯(大多数はBC級)を、日本が条約発効後に連合国の同意なく、赦免したり、減刑したりしない。そのことを確実にするための文言である。戦争責任をA級戦犯に負わせる、というような意味を持つ文言ではない。
もし仮に、そういう意味を持つとしたら、中国国民政府との日華平和条約(1952年)、そして北京政府との日中共同声明(72年)にも、同様の文言が求められていただろう。しかしいずれの文書にも、そうした文言は含まれていない。
(Ponko注:周恩来は田中角栄との会談で「侵略戦争」の「侵略」の部分を削除したと伝えられている)
そもそも戦後の日本が、戦争責任をA級戦犯に負わせて「けじめ」をつけたとは、平和条約の解釈を別にしても、いい難いことである。たとえば日本は、国際社会への復帰を象徴する国連加盟(56年)の晴れの舞台に、A級戦犯として刑に服した重光葵(外相)を代表として送っている。
社説は、A級戦犯が合祀された靖国神社への安倍首相の参拝は、「けじめ」を受け入れてきた人々をないがしろにすると批判する。だがこれは筋の悪い批判というべきだろう。
戦後の日本は、A級戦犯など一部の人々に戦争責任を負わせるのではなく、国全体でそれを負う形をとった。たとえば日中共同声明の前又には、「日本国」が戦争によって中国国民に「重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省するとの文言がある。
中国側は当初、「日本国」の代わりに「日本軍国主義」という文言を提案していた。一部の軍国主義者と一般の国民を分けて、前者に戦争責任を負わせる立場からの提案だった。だが日本側は、「日本全体が戦争を反省している」(大平正芳外相)ことを表したいとして、その提案を断っている。
この例も含めて、戦後の日本が、国民全体で戦争責任を負ってきたことを忘れるべきではない。それは、いわゆる歴史認識問題に向き合う際の大事な前提にもなる。
(産経新聞言引用終わり)
「『朝日の逆をやれば大体、正しい』という笑い話がありますが、結果として、それが冗談ではなくなってしまっている」(中西輝政)「WILL」2015年1月号36頁)
朝日新聞社説(2015年1月3日)
(社説)日本人と戦後70年 忘れてはならないこと
戦後70年。
アジアや太平洋の戦場で、灯火管制下の都会で、疎開先の田舎で、多くの人たちがあの戦争を経験した。
その人たちが少しずつ世を去るとともに、社会が共有してきた記憶は薄れ、歴史修正主義とみられる動きも出てきた。
だが、日本が国際社会で生きていく以上、そうした態度を押し通すことはできない。70年かけて築いてきた国内外からの信用を損なうだけだ。
■「未来志向」とは
戦後70年にあたり、安倍首相は新たな談話を出すという。50年の「村山談話」、60年の「小泉談話」に続くものだ。
アジアだけでなく、欧米諸国も注目する談話の中身は、まだわからない。しかし、首相が繰り返し「未来志向」を強調するのが気がかりだ。
首相は過去2年の全国戦没者追悼式の式辞で、90年代以降の歴代首相が表明してきたアジアへの加害責任に触れなかった。
もし、「安倍談話」が式辞のように戦争責任を素通りしてしまったら、どうなるか。
村山談話は、植民地支配と侵略によってアジアの人々に多大の損害と苦痛を与えたと認め、痛切な反省とおわびを表明。以後、安倍内閣まで引き継がれてきた政府の歴史認識の決定版であり、近隣諸国との関係の礎となってきた。その価値を台無しにすることは許されない。
「未来志向」がいけないというのではない。だが、過去と真剣に向き合ったうえでのことでなければ、被害を受けた側からは「過去は忘れようと言っているのか」と受け取られるおそれがある。
首相はかつて「村山談話はあいまいで、歴史的価値は全くないと思うが」との自民党議員の国会質問に、「侵略の定義は定まっていない」と応じて批判を浴びた。「歴史認識については歴史家に任せるべきであろう」とも繰り返している。
史実の研究は歴史家に委ねるにしても、政治家が「あの戦争は何だったのか」という大局的な歴史観を持たずに、内政や外交のかじ取りはできない。
政府は談話づくりにあたって有識者の意見を聴くというが、まずは首相が歴史観を示し、国会で論じることが不可欠だ。
■東京裁判でのけじめ
日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受諾し、主権を回復した。戦争責任をA級戦犯に負わせる形で国としてのけじめをつけた。この事実は否定しようがない。 首相は一昨年暮れ、A級戦犯が合祀(ごうし)された靖国神社に参拝した。昨春には戦犯として処刑された元日本軍人の法要に自民党総裁名で追悼文を送った。
東京裁判には「事後法による勝者の裁き」との批判がある。その側面はあるにせよ、日本人だけで310万もの犠牲を招いた惨禍だ。責任を不問に付すなど、できるはずもなかった。
首相に喝采を送る人たちがいる。しかし、首相の行為は単なる追悼の意味を越えて、様々な思いをのみ込みながら「けじめ」を受け入れてきた人たちをないがしろにするものである。
あの戦争を問い続けた劇作家の故・井上ひさしさんは、東京裁判には問題が多いと認めたうえでこんな言葉を残している。
戦争責任問題は、明治以来みごとな近代化を成し遂げ、戦後の焼け野原から奇跡の経済発展と平和で安全で平等な社会を築き上げた日本が、「それでも過ちも犯したんだよ」と自己反省するまたとない材料なのです。過ちを犯したからといって卑屈になる必要はない。過ちを犯さない国家などというものは世界中どこにもないのだから。しかし、過ちを犯さなかったと強弁することは自己欺瞞(ぎまん)であり、自らを辱めることでもある。
(『初日への手紙 「東京裁判三部作」のできるまで』)
このところ政界でも社会でも、東京裁判を全否定したり、旧軍の行為をひたすら正当化したりする声が大きい。まるで、大日本帝国の名誉回復運動のように。
戦前・戦中のすべてが悪いわけではないし、「いつまで謝り続ければいいのか」という反発が背景にあるのかもしれない。
■誇るべきはいまの姿
だが、私たちが重きを置くべきはそこではないだろう。海外での武力行使や武器輸出はせず、経済の力で途上国を援助する。これまで積み重ね、国際社会に高く評価されている平和主義の歩みこそ、日本は誇り、守っていかねばならない。
戦争責任を直視することは、父や祖父たちをおとしめることにはならない。平和主義を確かなものにすることは、むしろ先人の期待に応える道だ。
うわべだけの「帝国の名誉」を叫ぶほど、世界は日本の自己欺瞞を見て取る。この不信の連鎖は放置できない。断ち切るのは、いまに生きる者の責任だ。
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19日の産経新聞一面で坂元一哉阪大教授が1月3日の朝日新聞社説の誤解を指摘している。
朝日社説は、「日本は戦争責任をA級戦犯に負わせる形で国としてのけじめをつけた。だから日本の首相はA級戦犯が祀られている靖国神社に参拝してはならない」というが、それは誤解であると言う。
実際にはそれは「誤解」ではなくて、歪曲した言い掛かりである。
サンフランシスコ平和条約では日本の戦争責任については言及されていない。
戦後の日本を生きてきた人たちは、敗戦時にアメリカ占領軍に戦争責任は旧日本軍にあり、国民一般は被害者であって悪くないと教えられてきた。
しかし、当時の一般的な国民感情としては、敗戦という虚脱状態の中でも日本軍を悪とする気持ちはさらさらなかった。
それが次第にGHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム)によってそのように洗脳されてしまったのである。
「悪いのは旧日本軍であり日本国民は被害者だ」という日本分断作戦はアメリカだけでなく中国の周恩来の取った戦略でもある。
いわばこの「あなたは正しかった作戦」で日本国民を丸め込もうとしても、アメリカと闘ったのはあなたの父親であり叔父であり、あるいは祖父である。
坂元教授は最後に・・・
「戦後の日本が、国民全体で戦争責任を負ってきたことを忘れるべきではない」
というが、この主張は半分正しく、半分間違っている。
正しくは「国民全体であの戦争を戦った。しかし、武運拙く負けてしまった。戦争は勝った国が常に正義である。したがって敗戦を自虐的に捉えてはならない」ということである。
(産経ウェブにはまだアップされていないので全文をコピペさせ頂く)
産経新聞(2015/1/19)
世界のかたち、日本のかたち
戦争反省史に見る誤解
坂元一哉(大阪大教授)
「日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受諾し、主権を回復した。戦争責任をA級戦犯に負わせる形で国としてのけじめをつけた。この事実は否定しようがない」
これは3日の朝日新聞社説(「日本人と戦後70年忘れてはならないこと」の一節である。私は、戦後70年の今年は、この社説に見られるような誤解を正すためにも、過去の戦争の歴史だけでなく、この70年間の、戦争反省の歴史もよく振り返る年にすべきだと思う。
社説は、日本が連合国48力国と結んだサンフランシスコ平和条約の基本的な性格を忘れているようである。吉田茂首相は条約を受諾する演説のなかで、それを「和解」と「信頼」の文書と呼んだが、その最も重要な特徴の一つは、戦争責任にまったく言及しないことだった。
たしかに、条約の第11条には、日本が東京裁判など連合国による軍事裁判の諸判決を受諾する、という趣旨の文言がある。だがそれは、裁判で有罪判決を受け服役中の戦犯(大多数はBC級)を、日本が条約発効後に連合国の同意なく、赦免したり、減刑したりしない。そのことを確実にするための文言である。戦争責任をA級戦犯に負わせる、というような意味を持つ文言ではない。
もし仮に、そういう意味を持つとしたら、中国国民政府との日華平和条約(1952年)、そして北京政府との日中共同声明(72年)にも、同様の文言が求められていただろう。しかしいずれの文書にも、そうした文言は含まれていない。
(Ponko注:周恩来は田中角栄との会談で「侵略戦争」の「侵略」の部分を削除したと伝えられている)
そもそも戦後の日本が、戦争責任をA級戦犯に負わせて「けじめ」をつけたとは、平和条約の解釈を別にしても、いい難いことである。たとえば日本は、国際社会への復帰を象徴する国連加盟(56年)の晴れの舞台に、A級戦犯として刑に服した重光葵(外相)を代表として送っている。
社説は、A級戦犯が合祀された靖国神社への安倍首相の参拝は、「けじめ」を受け入れてきた人々をないがしろにすると批判する。だがこれは筋の悪い批判というべきだろう。
戦後の日本は、A級戦犯など一部の人々に戦争責任を負わせるのではなく、国全体でそれを負う形をとった。たとえば日中共同声明の前又には、「日本国」が戦争によって中国国民に「重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省するとの文言がある。
中国側は当初、「日本国」の代わりに「日本軍国主義」という文言を提案していた。一部の軍国主義者と一般の国民を分けて、前者に戦争責任を負わせる立場からの提案だった。だが日本側は、「日本全体が戦争を反省している」(大平正芳外相)ことを表したいとして、その提案を断っている。
この例も含めて、戦後の日本が、国民全体で戦争責任を負ってきたことを忘れるべきではない。それは、いわゆる歴史認識問題に向き合う際の大事な前提にもなる。
(産経新聞言引用終わり)
「『朝日の逆をやれば大体、正しい』という笑い話がありますが、結果として、それが冗談ではなくなってしまっている」(中西輝政)「WILL」2015年1月号36頁)
朝日新聞社説(2015年1月3日)
(社説)日本人と戦後70年 忘れてはならないこと
戦後70年。
アジアや太平洋の戦場で、灯火管制下の都会で、疎開先の田舎で、多くの人たちがあの戦争を経験した。
その人たちが少しずつ世を去るとともに、社会が共有してきた記憶は薄れ、歴史修正主義とみられる動きも出てきた。
だが、日本が国際社会で生きていく以上、そうした態度を押し通すことはできない。70年かけて築いてきた国内外からの信用を損なうだけだ。
■「未来志向」とは
戦後70年にあたり、安倍首相は新たな談話を出すという。50年の「村山談話」、60年の「小泉談話」に続くものだ。
アジアだけでなく、欧米諸国も注目する談話の中身は、まだわからない。しかし、首相が繰り返し「未来志向」を強調するのが気がかりだ。
首相は過去2年の全国戦没者追悼式の式辞で、90年代以降の歴代首相が表明してきたアジアへの加害責任に触れなかった。
もし、「安倍談話」が式辞のように戦争責任を素通りしてしまったら、どうなるか。
村山談話は、植民地支配と侵略によってアジアの人々に多大の損害と苦痛を与えたと認め、痛切な反省とおわびを表明。以後、安倍内閣まで引き継がれてきた政府の歴史認識の決定版であり、近隣諸国との関係の礎となってきた。その価値を台無しにすることは許されない。
「未来志向」がいけないというのではない。だが、過去と真剣に向き合ったうえでのことでなければ、被害を受けた側からは「過去は忘れようと言っているのか」と受け取られるおそれがある。
首相はかつて「村山談話はあいまいで、歴史的価値は全くないと思うが」との自民党議員の国会質問に、「侵略の定義は定まっていない」と応じて批判を浴びた。「歴史認識については歴史家に任せるべきであろう」とも繰り返している。
史実の研究は歴史家に委ねるにしても、政治家が「あの戦争は何だったのか」という大局的な歴史観を持たずに、内政や外交のかじ取りはできない。
政府は談話づくりにあたって有識者の意見を聴くというが、まずは首相が歴史観を示し、国会で論じることが不可欠だ。
■東京裁判でのけじめ
日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受諾し、主権を回復した。戦争責任をA級戦犯に負わせる形で国としてのけじめをつけた。この事実は否定しようがない。 首相は一昨年暮れ、A級戦犯が合祀(ごうし)された靖国神社に参拝した。昨春には戦犯として処刑された元日本軍人の法要に自民党総裁名で追悼文を送った。
東京裁判には「事後法による勝者の裁き」との批判がある。その側面はあるにせよ、日本人だけで310万もの犠牲を招いた惨禍だ。責任を不問に付すなど、できるはずもなかった。
首相に喝采を送る人たちがいる。しかし、首相の行為は単なる追悼の意味を越えて、様々な思いをのみ込みながら「けじめ」を受け入れてきた人たちをないがしろにするものである。
あの戦争を問い続けた劇作家の故・井上ひさしさんは、東京裁判には問題が多いと認めたうえでこんな言葉を残している。
戦争責任問題は、明治以来みごとな近代化を成し遂げ、戦後の焼け野原から奇跡の経済発展と平和で安全で平等な社会を築き上げた日本が、「それでも過ちも犯したんだよ」と自己反省するまたとない材料なのです。過ちを犯したからといって卑屈になる必要はない。過ちを犯さない国家などというものは世界中どこにもないのだから。しかし、過ちを犯さなかったと強弁することは自己欺瞞(ぎまん)であり、自らを辱めることでもある。
(『初日への手紙 「東京裁判三部作」のできるまで』)
このところ政界でも社会でも、東京裁判を全否定したり、旧軍の行為をひたすら正当化したりする声が大きい。まるで、大日本帝国の名誉回復運動のように。
戦前・戦中のすべてが悪いわけではないし、「いつまで謝り続ければいいのか」という反発が背景にあるのかもしれない。
■誇るべきはいまの姿
だが、私たちが重きを置くべきはそこではないだろう。海外での武力行使や武器輸出はせず、経済の力で途上国を援助する。これまで積み重ね、国際社会に高く評価されている平和主義の歩みこそ、日本は誇り、守っていかねばならない。
戦争責任を直視することは、父や祖父たちをおとしめることにはならない。平和主義を確かなものにすることは、むしろ先人の期待に応える道だ。
うわべだけの「帝国の名誉」を叫ぶほど、世界は日本の自己欺瞞を見て取る。この不信の連鎖は放置できない。断ち切るのは、いまに生きる者の責任だ。
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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済
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