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2015.01.07 (Wed)


年頭に甘えた日本人を叱る曽野綾子氏

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 産経新聞の元旦の「正論」は作家の曽野綾子氏が書いていた。
曽野氏(83歳)は聖心女子大というお嬢様学校を卒業したカトリック教徒で、ご主人は作家の三浦朱門氏。

 美人でお嬢様で新進作家というスタートから、今は口やかましいが正論を唱えるおばさまに変身している。
海外の貧しい国々でのボランティア活動の経験から、恵まれた環境に甘えている日本人には厳しい。

 また小説の外に、日本軍による沖縄集団自決強制を書いた大江健三郎の「沖縄ノート」や沖縄タイムズの「鉄の暴風」に反論したドキュメンタリー「ある神話の背景―沖縄・渡嘉敷島の集団自決 (PHP文庫) 」「沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO 2006/5)を書いている。

 左傾化した作家たち(大江健三郎、村上春樹、瀬戸内寂聴など多数)とは一線を画した骨太の作家である。
ただ、靖国神社の代替施設に賛成というのは理解できない。

 この曽野綾子氏の「年頭にあたり」と題したコラム「正論」が一週間を過ぎた今日でも産経ウェブで見ることができない。
広く読まれるべき「正論」だと思うので、またお読みでない方のために全文をコピペしてご紹介する。

 戦後70年、豊かさには恵まれて来たためか、甘えた日本人やひ弱になってしまった日本人が多くなってしまったことを痛感する。

産経新聞「正論」(2015/1/1)
日本人よ 逆境に耐える力養え 曽野綾子

 「平和」への倒錯した幻想

 いよいよ日本も2015年を迎えた。月日の経つのが信じられないほど早いという人がいるが、それはその人が幸福だった証拠だ。
苦痛のある人にとっては、時間は驚くほどゆっくりとしか過ぎていかない。
 それというのも、幸運もあって島国日本の国運が、世腎的に恵まれたものだったからだ。東日本大震災の天災と東京電力福島第1発電所の原発事故があっても、すさまじい停電に悩まされることもなかった。その後天災による災害は各地で続いたが、日本にはどこにでも復旧に必要な重機と技術者がいで、重い土砂や倒れた木を素早く運び出すことができた。こんなことができる国家は、実に少ないだろう。すべて賢くて誠実で勤勉な日本人の力のおかげである。

 しかしその一方で、気になることがないわけではない。
 日本人の一部の人たちの中には、もう「いい年をした大人」であるのに、理想的な生活が、現実のものとして、成り立ちうると考えている人がいる。そしてそのための備えを、限りなく国家に要求することだ
 その一つは平和に関する幻想である。憲法9条を守り、平和を念願すれば、戦いは忌避できるという発想だ。 しかし現実を正視すればそんなことはない。世界の主な国ではいまだに国の実態は部族の集団である。部族というものは、古来血縁や地縁が固まって自分の属する集団を守り、他部族と多くの場合戦って、生活の環境を守って来たものなのだ。だから、戦って自分の生活を守るという姿勢は、遺伝子の中に今でも組み込まれている。

 外敵との戦いは当然だった

 血縁・地縁とは、「(相手の素性が)分かっている人」と暮らすということで、そうでない人は原則として信用しないということだ。わかっていない人を信じないのは当然だ。だからそうした血縁・地縁で繋がって来た人たちにとっては、人生は自分の利益を守るために外敵との戦いを伴って当然なのである。
 先日も、「自分は相手を疑ったことがない」という国会議員に会った。私はその方の性格が好きなので、ごくまれにお会いするときは楽しくおしゃべりしているが、こういう方には、国防も保安も任せられない。しかし戦後の日本の教育は、「皆いい子」として育てられたから、賢いのに眼のない幼稚な日本人が増えた。
 今、日本人はもっと鍛えねばならない。心身共に逆境に耐えて生き抜く力を養い、もっと人を見抜く勉強をしなくてはならない。そして自分の思考形態の違う相手をも受け入れ、妥協点を見いだして、犠牲の少ない生活を共有する知恵が要る。
 日本のマスコミも政府の悪口を言うのが好きだが、それではそんな政府に頼らずに自分のことは自分で守る人間になれ、とは社会に言わない

 人間性失わない生き抜く力

 もう何十年も前のことになったかもしれないが、高校でナイフによる同級生の殺人があった。すると学校当局は校内にナイフの持ち込みを禁止するというやり方で、その問題を解決した気になった。
 しかし当時も今も、中近東、アフリカの荒野を歩けば、ナイフを腰に帯びていない男などいないだろう。ナイフは人を刺すものではない。基本的には人間の生を助ける道具だ。それで薪を取って煮炊きをし、家畜を屠り、肉を切り、布を割いて縄を作り、家畜や自分の怪我を治すときの外科手術用に使ったりもする。
 すべてのものは使いようで、破壊的にもなれば、生命を維持するものにもなる。つまり現在の教師も文科省の行政官も、自分の任期中に事故や騒ぎが起きず、出世に差し支えないことを考えているだけで、子供や若者を逆境の中で鍛えて強い人間にするという、本当の教育は望んでいないらしい。
 生き抜くという力は、電気が消え、暖房や冷房がなくなり、水道の供給も止まるといった状況の中でも、どうしたら人間が、冷静さ、思考の停止、弱い者を助けるという人間性などを失わないでいられるかということだ。
 それには学校も社会も、若者や老人を甘やかさず、自分でできる範囲の責任は果たすという姿勢を鍛え続けて、国家と社会を強力なものにしなければならない。
 見事な天気予報のある日本で、台風や豪雨のたびに、安全な建物に避難する人々に、なぜ無料で給食を配らなければならないのか。
 昔から私の母たちの世代は避難する場合、まずご飯を炊いて大きな梅干し入りのにぎり飯を作り、それを携え、毛布の1枚も背負って逃げたものだ。毛布がなければ一夜でも二夜でも、寒さに震えて寝たものだ。それでもたいていの人間は死なない。にぎり飯も作れない老人のためには、必ずもう1つ余分のにぎり飯を作って持っていく人もいるからなのである。

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