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2014.08.15 (Fri)


NHK 安倍首相の戦没者追悼式の挨拶に不満

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昨年に続きアジア諸国への謝罪の文言を省いたと

NHK「ニュースウォッチ9」(2014/8/15)
終戦から69年 平和を願って


 政府主催の全国戦没者追悼式のニュースを早送りで見ていた。
天皇陛下は「戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と追悼の式辞を述べられた。
朝日新聞とNHKは畏れ多くも天皇陛下が「昨年の使い回しをした」とケチをつけるのだろうか。

 続いて安倍首相が挨拶する場面で、「アジア諸国に損害と苦痛を与えた責任」と字幕スーパーが流れたので、「また要らぬことを」と思い、巻き戻してチェックしてみるとNHKの解説者が・・・

「一方、第一次安倍内閣当時の平成19年の式辞に盛り込んだ『アジア諸国に損害と苦痛を与えた責任』には去年に続いて触れませんでした」

とナレーションしているのを聞いてほっとした。
そのような事を言っても相手を付け上がらせるだけだからである。
逆に言えば、NHKはアジア諸国への謝罪の言葉を安倍首相に暗に要求しているのである。

 安倍首相は昨年と同様に萩生田特別補佐を通じて靖国神社に玉串料を納めた。
諸般の情勢から参拝できないことに忸怩たる思いがあったに違いない。
いつの日か、心置きなくいつでも参拝できる日がくることを安倍首相は匍匐前進しながら願っていることだろう。

 一方で、古谷圭司国家公安委員長、新藤義孝総務大臣、稲田朋美行革担当大臣の3閣僚が参拝した。
稲田大臣の晴れやかな顔が印象的だった。
力を蓄えて早く総理大臣になってもらいたいものだ。

 NHKは韓国と中国が「去年に比べて批判は抑制的だ」と報じていたが、中韓を慮(おもんばか)って下らぬことをなぜいちいち報道するのか。
朴槿恵大統領は相変わらず慰安婦問題への日本の措置を求める演説をし、中国の報道官も歴史問題で引き続き日本に圧力を加えると断言した。
このような中国と韓国の反応をいちいち報道する必要など更々無い。

なおNHKは「従軍慰安婦」と報じていたが、そのような存在は当時なかったから用語として間違いである。強いて言うならば、「いわゆる『従軍慰安婦』」と「いわゆる」を接頭語にしたカギ弧つきで報道すべきである。

戦後に終止符を打つためには朝日新聞とNHKを解体しなければならない。
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2014.08.15 (Fri)


朝日新聞終了の日が近い

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今日敗戦の日、朝日新聞社説にその予感

 敗戦の日の今日、朝日新聞の社説には怒りを覚えた。
異なる意見を聞くことはやぶさかではない。
しかし、朝日新聞の語り口は陰湿であり卑怯であり、慇懃無礼でありながら、時に上から目線である。
以下、読みながら合いの手を入れてみた。

朝日新聞社説(2014/8/15)
戦後69年の言葉―祈りと誓いのその先へ

 8月最初の土曜日、東京・渋谷で行われたデモ。「戦争反対」のコールが炎天下に響く。
 この69年間、日本において戦争といえば、多くは1945年8月15日に敗戦を迎えた過去の大戦のことであり、そうでなければ、世界のどこかで起きている悲惨な出来事だった。
 だが7月1日、集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、戦争は過去のものでも、遠くのことでもなくなった

■戦争と日本の現在地

 国民的合意があったわけではない。合意を取り付けようと説得されたことも、意見を聞かれたこともない。ごく限られた人たちによる一方的な言葉の読み替えと言い換えと強弁により、戦争をしない国から、戦争ができる国への転換は果たされた

(「意見を聞かれたこともない」というが先の総選挙で自民党は集団的自衛権の行使容認をマニフェストに掲げて圧勝した。
それが民主主義の民意と言うものである。
「戦争できる国」は一部正しく一部間違い。日本はアメリカと共同して戦争出来るようになることで戦争を仕掛けられなくなった、抑止力を持ったとのである)


 安倍首相は8月6日の広島、9日の長崎という日本と人類にとって特別な日の、特別な場所でのあいさつを、昨年の「使い回し」で済ませた。そればかりか、集団的自衛権に納得していないと声をかけた被爆者を「見解の相違です」と突き放した。

(安倍首相の挨拶を「使い回し」とは無礼千万である。表現が変わらないということは、それでしか表現できない的確用語だということである。去年と今年と安易に表現を差し替えることの方が良いという考えは被爆者を愚弄している。
慰霊を込めた平和祈念式典で左翼が担ぐ被爆者7団体から集団的自衛権の撤回を求められて「見解の相違」と突っぱねたのは安倍首相の信念の強さを表している。限られた左翼団体よりも国民全体の安全を守ることが首相に求められているからである)


 見解の相違があるのなら、言葉による説得でそれを埋める努力をするのが、政治家としての作法である。ところが首相は、特定秘密保護法も集団的自衛権も、決着後に「説明して理解を得る努力をする」という説明を繰り返すだけ。主権者を侮り、それを隠そうともしない。

(慰安婦の捏造を取り消しても謝罪しない朝日新聞を侮っているかもしれないが、国民を侮ったりはしていない)

 男性23・9歳。女性37・5歳。敗戦の年の平均寿命(参考値)だ。多大な犠牲を払ってようやく手にしたもろもろがいま、ないがしろにされている。
 なぜ日本はこのような地点に漂着してしまったのだろうか。

 哲学者の鶴見俊輔さんが、敗戦の翌年に発表した論文「言葉のお守り的使用法について」に、手がかりがある。

 「政治家が意見を具体化して説明することなしに、お守り言葉をほどよくちりばめた演説や作文で人にうったえようとし、民衆が内容を冷静に検討することなしに、お守り言葉のつかいかたのたくみさに順応してゆく習慣がつづくかぎり、何年かの後にまた戦時とおなじようにうやむやな政治が復活する可能性がのこっている」

(鶴見俊介を引用することで朝日新聞のお里が知れる。丸山真男と共に日本を間違った道に導いてきた御仁である。

「10歳をいくつも出ない年齢で歓楽街に出入りし、女給やダンサーと肉体関係を持った他、自殺未遂を5回繰り返して精神病院に3回入院させられた」

「第二次世界大戦中には結核持ちであるにもかかわらず徴兵検査に合格したため、徴兵を避けるために海軍軍属に志願」

「鶴見が左翼系知識人にすりよりながら、いつも左翼にならないこと、また蓮實重彦は「動体視力」つまり映画や文学を語る時の視力が鶴見には決定的に欠けており、それゆえ、鶴見の文化評論がことごとく無内容なものになっていると批判」
(以上 ウィキペディア)


■お守り言葉と政権

 お守り言葉とは、社会の権力者が扇動的に用い、民衆が自分を守るために身につける言葉である。例えば戦中は「国体」「八紘一宇(はっこういちう)」「翼賛」であり、敗戦後は米国から輸入された「民主」「自由」「デモクラシー」に変わる。

(大東亜戦争を通して、「国体」「八紘一宇」「翼賛」という言葉を一番使って国民を煽ったのは他ならぬ朝日新聞であることをお忘れか。
それが今は「戦争反対」「世界平和と9条を守れ」「共生す社会」等々に置き換わっただけである。)


 それらを意味がよくわからないまま使う習慣が「お守り的使用法」だ。当初は単なる飾りに過ぎなかったはずの言葉が、頻繁に使われるうちに実力をつけ、最終的には、自分たちの利益に反することでも、「国体」と言われれば黙従する状況が生まれる。言葉のお守り的使用法はしらずしらず、人びとを不本意なところに連れ込む。

 首相が、「積極的平和主義」を唱え始めた時。意味がよくわからず、きな臭さを感じた人もいただろう。だが「平和主義」を正面から批判するのはためらわれ、そうこうしているうちに、首相は外遊先で触れ回り、「各国の理解を得た」と既成事実が積み上がる。果たして「積極的平和主義」は、「武器輸出三原則」を「防衛装備移転三原則」へと転換させる際の理屈となり、集団的自衛権行使容認の閣議決定文には3度出てくる。

(安倍首相の「積極的平和主義」を世界各国が絶賛し、反対しているのは中国と韓国、そして朝日新聞である)

 美しい国へ。戦後レジームからの脱却。アベノミクス――。

 さあ、主権者はこの「お守り言葉政権」と、どう組み合えばいいのだろうか。

■8・15を、新たに

 「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です」

 9日、長崎での平和祈念式典。被爆者代表として登壇した城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんがアドリブで発した、腹の底からの怒りがこもった言葉が、粛々と進行していた式典の空気を震わせた。
 ぎょっとした人。ムッとした人。心の中で拍手した人。共感であれ反感であれ、他者の思考を揺さぶり、「使い回し」でやり過ごした首相を照らす。
 まさに言葉の力である。

(平和式典の場にふさわしくない、場違いの自己主張である。各国の来賓客も驚いた事だろう。このような暴言を「言葉の力」とは恐れ入る)

 デモ隊が通り抜けた渋谷でも、揺さぶられている人たちがいた。隊列をにらみつけ、「こんなことやる意味がわかんない。ちゃんと選挙行けよ」と吐き捨てる女性を、隣を歩く友人が苦笑いで受け止める。「戦争反対」とデモのコールをまねて笑い転げるカップル。日常に、ささやかな裂け目が生じた。

(何を言いたいのが分からない。「戦争反対」のデモ行進の滑稽さを道往く人が揶揄するのは当然である。 
「日常に裂け目」と突然「クオリテイ紙」とか言われる編集子が文学青年になる(笑)。


 お守り言葉に引きずられないためには、借り物ではなく、自分の頭で考えた言葉を声にし、響かせていくしかない。どんな社会に生きたいのか。何を幸せと思うのか。自分なりの平たい言葉で言えるはずだ。

(既成メディアの言葉は死んでいる。朝日新聞こそ「平和」「非核」「共生」などお守り言葉で人々を騙している。いま自分の言葉で語っているのはインターネットの言論空間である。死語を駆使する朝日新聞などの既成メディアにもう国民は騙されない) 

8月15日は本来、しめやかに戦没者を悼む日だった。しかし近年は愛国主義的な言葉があふれ出す日に変わってしまった。静寂でも喧噪(けんそう)でもない8月15日を、私たちの言葉で、新たに。(終わり)


 「愛国主義的な言葉」の何処が悪い。
中韓の反日的な言動のお蔭で、ようやく日本人にも国家意識が蘇って来たのである。

「しめやかに戦没者を悼む日」などと尤もらしい事を言っているが朝日新聞の真意ではない。
8月15日になると中国や韓国とともに日本を貶める記事やテレビ番組を垂れ流す朝日新聞とテレビ朝日こそ退場する日が近い。
その時には国民全員で祝杯を上げなければならない。

朝日新聞の葬式を出すのは日本国民である。
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2014.08.15 (Fri)


特攻隊のお蔭で今の日本がある

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 明日の敗戦日を迎えてマスメディアが反戦・厭戦の自虐報道が始まった。
テレ朝では国内最大級のゼロ戦が初公開されたと報道。
何をもって最大級というのか知らないが、靖国神社の遊就舘に行けばゼロ戦の雄姿を観ることが出来るではないか。

テレ朝「スーパーJチャンネル」(2014/8/14)
"国内最大"ゼロ戦 初公開
特攻隊員見送った整備士
「命落とす・・・当たり前だった」

渡辺宜嗣アナ
「明日は69目の回終戦記念日です。戦時中、特攻隊員の訓練地となった施設では撃墜されたとみられる国内最大級のゼロ戦が初めて公開されています」

ゼロ戦機体ゼロ戦

ナレーション
「穴だらけの尾翼、錆ついた胴体、これは多くの若者たちの命を奪った戦闘機だ


この機体はニュージーランド空軍がソロモン諸島で回収したものだとレポーターが報告する。
垂直尾翼には"JAP ZERO TAIL" と書かれている。
JAPは日本の蔑称である。
当時、日本の技術の粋を集めたゼロ戦の機体にJAPなどと書かれたものを展示して腹が立たないのか。

来館者
「これが太平洋をかけていたのかと思うと驚くばかりで・・・」


戦争を知らない若者は日本のゼロ戦が敵軍の心胆を寒からしめたことを知らない。

ゼロ戦を公開したのは筑波海軍航空隊記念館で、当時1500人以上が訓練を受けた。

86歳のゼロ戦の整備士が「当時は志願して予科練に入ったので国のために命を捧げるという気持ちはあった」と述懐する。

元整備士
「熱望、願う、否の三つの区分でアンケートをとったら『否』というのはほとんど居なかった。滑走路の両端に一列に並んで、出発の前に司令官の訓示があり、飛行上の注意があって、別れの盃を交わしてそれぞれ自分の愛機に乗り込む。初めから死を覚悟していました」

ナレーション
「特攻によって戦死した若者は9ヵ月で6000人以上に登るという」

整備士
「平和であることはこの上ないことなので、あんな特攻のようなことが再び起きないとは思いますけどね。あってはならない事だと思いますね」


今日の平和があるのは同僚の特攻隊のお蔭だと思わないのか。
恥知らずな生き残り者め!と怒りの念が湧く。

ナレーション
「明日、日本は69回目の終戦の日を迎える」


予科練生の約2万4千人が戦地に行き、約1万9千人が戦死した。

渡辺・萩谷渡辺・萩谷

荻谷 順(法政大学教授)
「特攻の志願で『否』がほとんど居なかったというのは、平和な時代を過ごしている我々、69年間戦争の災害を受けなかった我々からすると、本当に信じ難い当時の若者の心理状況だ

渡辺
「イヤと言えない時代ですね」

荻谷 順(法政大学教授)
「そうですね」


特攻隊員はイヤイヤながら死んでいったと特攻隊員を冒涜する渡辺宜嗣と荻谷 順は決して許すわけにはいかない。

荻谷 
「戦前の大日本帝国は主権者は天皇だった。そして天皇は政治的な決定を握っているだけではなくて、すべての価値観、道徳の中心が天皇制だったわけですね。いま戦後60年間、我々は主権を在民の民主主義の元で暮らしています。様々な意見がありますし、なによりも平和と人の命を大事にしなければならないということを若者たちは教わって育っています。年々、戦争体験者の数は減って行く。戦争体験が無くても69年の間に平和の意識を刻み付けています。我々は平和日本の国民であるということにもっと自信を持っていれば二度とああいうことにならないと私は思っていますね」


「天皇制」は共産党の用語である。
萩谷は完全に戦後教育の落とし子である。

「人の命を大事にしなければならない教育を受けた若者」がいともたやすく人の命を奪う事件が続出している今の日本を誇れるのか。

マスメディアが今ほど発達していなかったから事件の報道が少なかったということを差し引いても、戦時中は今の日本のように殺人事件やいじめは無かったのはなぜか。

戦後、日本国民は堕落したのである。
「自信を持て」とは空々しい。
日本のために命を賭した先人の姿を少しは見習うといい。
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