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2009.03.29 (Sun)


高砂義勇兵の記念碑存続か

かかかか高砂族


深めたい日台友好

小沢民主党代表の続投会見で埋もれてしまった小さなニュースがある。
それは高砂族義勇兵の記念碑の話である。
日本が大東亜戦争を戦ったとき、台湾の高砂義勇兵は勇猛果敢で数々の戦果を上げたことは広く知られている。
しかし、高砂族の末裔を名乗る台湾国会議員の高金素梅が数十名の台湾原住民とともに来日し、靖国神社に祀られた高砂族の霊を返還せよとデモ行動を起こし、訴訟して日本人の顰蹙を買ったことも記憶に新しい。
この勇敢な高砂族義勇兵の記念碑をめぐり、さまざまな動きがあった。
記念碑の敷地を提供した会社が破産して存続が危ぶまれ、産経新聞の呼びかけで3000万円超の募金が集められ、県有地に移転した。しかし、台湾県当局がこの記念碑を「軍国主義の美化」だとして強制撤去し、地元と裁判になった。
地元の要求は一度は却下されたが最高行政法院で差し戻しになった。上告される可能性もあるがいい方向に向っているという。
台湾には台湾のインフラ整備に貢献した日本人の記念碑があり、多くの台湾人の尊敬を受けている。
日台友好は日中友好や日韓友好以上に大切にしなければならないと思う。

高金素梅の正体
http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/5051349.html


産経新聞(2009.3.24)
高砂義勇兵記念碑 存続へ前進
撤去処分の撤回命令


【台北=長谷川周人】台北郊外の烏来(うらい)郷に移設された台湾先住民出身の元日本兵「高砂義勇兵」の英霊記念碑が2006年2月、台北県当局に強制排除された問題で、地元側が排除処分の取り消しと原状復帰を求めていた行政訴訟の差し戻し審判決が24日、台湾の高等行政法院であった。判決は県側の主張を退け、処分の撤回を指示した。3年に及んだ記念碑問題は、法廷論争でも地元の意向が受け入れられ、解決に向けて大きく動き出すことになった。
 この記念碑は、敷地を提供した観光会社の倒産で存続が危ぶまれたが、これを伝えた産経新聞の記事をきっかけに3000万円を超える義援金が日本の読者らから寄せられ、2006年2月に現在の県有地に移設された。ところが県側は碑文が「日本の軍国主義を美化している」などと決めつけ、敷地内にあった8つの石碑を強制撤去、記念碑は竹の覆いで封印した。

 これに対し「排除命令は違法であり無効」とする地元は、法廷闘争に持ち込んで処分撤回を求めてきた。07年12月に高等行政法院は訴えを却下する裁定を下したが、最高行政法院は地元側の抗告を認めてこれを差し戻し、3回の審理を経たこの日の判決では、一転して処分撤回を指示した。
 判決文は一両日中に公開され、県側が上告する可能性もあるが、県は行政訴訟と並行して記念碑一帯の公園化よる地元との「和解」の道を探ってきた。昨年5月には地元側と初めての公開協議を行い、記念碑を歴史的な観光資源として再開発する計画を提示。日本語で書かれた碑文に訳文をつけることなどを条件としながらも、記念碑の囲いを取り払い、他の石碑も全面返還することを約束した。

 年末に予定される統一地方選を控え、地元との対立が続くのは得策ではないとの政治判断が県側に働いたとみられる。遅れに遅れた公園化計画も、3月に入ると記念碑の囲いの一部が取り外され、対立点を残しながらも新たな造成工事にも着手し、状況は好転している。
 地元で記念碑を守ってきた「烏来郷高砂義勇隊記念協会」のマカイ・リムイ総幹事は「3年の道のりは長かったが、判決は最終決着への大きな一歩だ。日本の善意に対して恥ずかしい思いをし続けたが、今度こそ記念碑を日本精神が根づく義勇隊の誇りの軌跡として、また日台を結ぶ友情のきずなとして残していきたい」と話している。
(写真は産経新聞より 台湾・烏来郷にある高砂義勇兵の記念碑。遅れに遅れた修復工事が3月から始まり、記念碑は3年ぶりに竹の囲いの一部が取り除かれた。長谷川周人撮影)


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2009.03.29 (Sun)


さらば、小沢一郎

いいいいWILL5月号


総理にならなくてよかった
小沢は和製スターリン

WILL5月号の「さらば、小沢一郎」総力大特集から政治評論家岩見隆夫氏の小論文の要旨をご紹介する。
昨日のテレ朝「スパモニ」で検察権力は民主主義の危機だとして小沢代表を擁護した原口一博民主党議員に終始批判的だった岩見隆夫氏の考え方が本文を読んでよく理解できた。
ずいぶんと乱暴なダイジェスト版なのでご容赦を。
ぜひとも書店でお買い求め頂き、全文をお読みください。
小沢代表へのレクイエム?(適語表現ではないとの声あり)が満載です!


「検察は乱暴」こそ乱暴

小沢代表の公設第一秘の逮捕を「国策捜査」と検察批判をする週刊誌やテレビが多いが、おかしなことである。『週刊朝日』の「小沢VS検察の全面戦争」と見出しをうっていたが、そういう位置付けでは全くない。田原総一朗氏は検察について「なんでこんな乱暴をするんだ」と発言していたが、検察を乱暴と言うほうが乱暴だ。政権交代が行われる選挙が近づく時期にやるのは乱暴だというのは全く逆だ。危ない人物が総理になってしまう前に捜査すべきというほうが筋が通っている。
 検察には小沢政権の誕生の危機感があったのかもしれない。ロッキード事件の田中角栄逮捕や脱税での金丸信逮捕は検察権力によるある種の軌道修正が機能していると言える。
 今の政党には自浄能力がない。軌道修正するとしたら検察しかない。この一件で、小沢氏が民主党代表を辞任するのは時間の問題である。
 私はこの勝負はもうついたと思っている。だからこそ、「小沢政治は何だったのか総括しなければならない。

分断、乗っ取り、奪取

小沢氏はよく「壊し屋」と評されるが、そんな単純なものではない。小沢政治は「分断(B)」、「乗っ取り(N)」、政権の「奪取D)」の「BND戦略」である。
彼は自民党幹事長になってからの20年間、この三つを繰り返し行ってきた。
●1993年新生党を結成して宮澤政権を分断。
●細川、羽田政権で政権奪取。
●海部俊樹を引き出して分断成功にするも村山政権に持っていかれる。
●95年新進党党首、98年新進党を解体し自由党党首に。
●99年小渕自民党との自自連立で乗っ取りに乗り出すも小渕氏の急死で挫折。
小渕氏は小沢氏に追い詰められたショックで倒れたともされている。
●03年小沢自由党は民主党と合併。自由党30名、民主党174名で小が大を食った。
●乗っ取りに成功し、06年民主党代表に。
●07年福田自民党との大連立を画策するが失敗。
この20年間で分断2回、乗っ取り3回、奪取2回の計7回の政略を行った。

小沢氏は和製スターリン 

小沢氏は権力奪取が自己目的化してしまっていて、ともかく権力を握りたいということに人生をかけている。総理になって何かしたいということではなく、総理大臣を使う権力を手中におさめたいという彼は民主主義の衣をまとった「和製スターリン」だ。和製スターリンが一国のリーダーになれば、国家国民は不幸でしかない。
小沢氏は田中角栄、金丸信に続く蓄財型の金権政治である。
政治理念は相当に曖昧で場当たり的にモノを言う。彼が本心から日本という国をよくしたいという気持ちは、ほとんど伝わってこない。
小沢時代は幕を閉じた。彼が政治の世界に入って来なければ日本の政治はいろんな意味で、ずいぶん平和だった。
 二十年間を振り返った政治記者としての実感である。
(文責Ponko)


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