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2008.12.25 (Thu)


弱者が強者を駆逐する

変な時代になった

WILL2月号は田母神論文の特集号だが、田母神問題以外でも私の同感する寄稿がたくさんあった。
ひとつは曽野綾子さんの連載エッセイ「小説家の身勝手」の「弱者が強者を駆逐する」である。

昨今のテレビメディアはヒューマニズムの具現者でもあるかのように振舞って、やれ派遣社員の首切りはけしからん、後期高齢者をバカにしていると社会の弱者を擁護する番組を垂れ流し、「弱者の悲鳴」を取り上げている。

曽野さんの後期高齢者の知人が「後期高齢者がテレビで『我々に死ねと言うのか』と言ってるのを見て腹が立った」と言ったそうだ。
私もあまりにテレビで老人達が『俺達を殺す気か』と主張するのを見て腹が立っていたから同じことを思った人もいたのだと少々ほっとした。
現在の後期高齢者は戦後乞食もせずに何とか生きてきた。その強さを持っているはずなのにひがみ根性がイヤらしいのである。
後期高齢者の大部分はそんなに騒いでいないと思う。
野党とマスコミが必要以上に騒いで世論を誘導しようとしているだけだ。

「75にもなれば、誰にとってももうまもなく死ぬのが当然の運命だ、と姿勢を正して甘受する姿勢はないのかね。情けないね」

「国家が死ねと言ったって、人は生きたきゃ何としてでも生き延びる。泥棒しても乞食しても逃亡しても、生き延びる。焼け跡で育った世代は、そのことを知ってる筈なんだ。それなのに『我々に死ねというのか』なんて甘えたことがよく言えたもんだ」

と曽野さんの知人は言ったという。
私の叔父も同じことを言っていた。

曽野さんの知人
「厚生労働省が75歳で線引きしたのはさすがだと思う。現実をみるといいのだ。75歳から、人間ははっきりと病気したり、行動が不自由になったりするものだ」

「75歳以上の後期高齢者は弱いようでいて、実は『死ねというのか』などといって国会の周辺に座り婚誰するほど元気なのである」

「実に現代は、弱者が強くなった時代とも言える」


弱者に遠慮しながら生きていかなければならない時代になったとPonkoもいつも思う。
金美齢さんも同様に弱者が大きな顔をしてる時代になったといっている。
真の問題は、このようなプロ市民(似非ヒューマニスト)の反日活動のなかで、真に救うべき弱者が見えなくなってしまうことだ。
ホームレスやネットカフェ難民も本当に困っているなら人手の足りない農村に行けば働いて食べられて納屋の片隅でも寝られるかもしれない。都会を離れたくないだけではないのか。しかし、こんなことは恐ろしくて言えない時代だというのである。

曽根さんはこう結ぶ。

「70、80にもなって、『年寄りが安心して暮らせる生活を』などというたわけた言っていて、それで通るのが、日本の弱くて強いお年寄りなのである。人生はどこでも、いつでも『安心して暮らせる』ことなど決してないことを、改めて肝に銘ずるべきだろう」

民主党は「国民の目線で」と言い、「年寄りが安心して暮らせる生活を」と言っている。あちこちに張られている公明党の党首のポスターも「暮らしを守る」とか「生活重視」とか謳っている。

耳障りのいいキャッチフレーズで国民を甘やかしてばかりいたら、この国はダメになるとつくづく思う。


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